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ランボルギーニ・ミウラの生みの親、パオロ・スタンツァーニ氏が亡くなる。その業績を振り返ってみよう

2017/08/17

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元ランボルギーニのチーフエンジニア、パオロ・スタンツァーニ氏が享年80歳にて死去。
ミウラ、カウンタック、ハラマ、エスパーダの設計に関わった、ランボルギーニの歴史を語る上でもっとも重要な人物の一人であり、ランボルギーニの歴史そのものと言っても過言ではない人物です。

パオロ・スタンツァーニ氏は1963年にジャン・パウロ・ダラーラ氏のアシスタントとしてランボルギーニに加入し、マルチェロ・ガンディーニ氏とともにミウラのプロトタイプを作成。
1967年にはテクニカル・ディレクターの座に就任しています。

今でこそ大きなエンジンをミッドマウントする手法は(スーパーカーにおいて)ごく当たり前になりましたが、ランボルギーニ・ミウラは初めてV12をミドシップに搭載した市販車でもあり、当時としては画期的であったと言えます。
なおミウラは同じミドシップでもエンジンは横置きで、これはレイアウト上複雑になるという問題もあり、その後カウンタックにおいて彼はエンジンを縦置きに変更。

この「エンジン縦置き」がすなわち「LP=Longitudinale Posteriore(後方縦置き)」を表すことになるのですが、その意味でもパオロ・スタンツァーニ氏はランボルギーニの現代にまで通じる流れを作った人物とも言えますね。

ほかにも画期的な構造、他メーカーが行わない、もしくは思いつかないような機構を次々考案して実行に移したアイデアマンであり、論理的に考えて機械的に最善を求めるエンジニアリングが特徴であったと認識しています(伝統に固執するタイプではない)。

ランボルギーニは数々のオーナーの元を転々とし(現在で7つめ)、その都度デザインや方向性が変わっているように見えますが、こうやって過去を振り返ると、ミドシップや大排気量縦置きエンジンといった流れに忠実であったこともわかりますね。

ただ、ランボルギーニは1973年に二番目のオーナーとなるロゼッティ・マイヤーへ売却され、そこでの方針が肌に合わなかったのか、スタンツァーニ氏は1974年にランボルギーニを退社。

なお、パオロ・スタンツァーニ氏は今なお高い評価を誇るブガッティEB110(1991-1995)の設計としても有名(彼にとってはカウンタックの次のプロジェクト)。
やはりエンジンは縦置きミドシップで、しかも現在のシロンと同じクワッドターボ、4WDレイアウトを採用するなど当時としては非常に斬新です(彼はカウンタック設計時にも最初から4WD化を想定していたと言われ、ランボルギーニと4WDとの関わりは意外と古いということになる)。

このブガッティEB110について、当時のブガッティオーナーは現在のVWアウディではなくロマーノ・アルティオーリ氏という実業家であり、彼はブガッティをより情緒的でフェラーリのような優雅な車にしたいと考えていた模様。
しかしマルチェロ・ガンディーニ+パオロ・スタンツァーニという二人は「機能性(走行性能)優先」であったようで、ブガッティのオーナーに方向性の相違を理由として解雇されるという憂き目に。

しかしながらその思想はその後のヴェイロン、シロンにも反映されていて、もし当時のブガッティのオーナーがVWアウディグループであったなら、事情はまた変わっていたのかもしれませんね(もっと重用してもらえたかもしれず、もっと素晴らしい車を作り得たかも)。

なお、2016年はミウラ誕生の50周年ということでランボルギーニはミウラに関する様々なイベントを開催しており、中で絵もそのフィナーレとして行われたのが「ランボルギーニ・ミウラでミウラ牧場を訪問」。

「ミウラ」とは闘牛の血統のひとつの名称で、その血統の闘牛を育てるのが「ミウラ牧場」なのですが、ランボルギーニ・ミウラがその「ルーツ」に遭遇する、というものですね。

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パオロ・スタンツァーニ氏が亡くなったことは残念ではあり、自動車史からまた偉大な人物が失われたことになりますが、今でもその功績はランボルギーニの市販車に脈々と受け継がれており、きっと忘れ去れらることはないだろう、とぼくは考えいています。
同氏はランボルギーニ退社後も「キーパーソン」としてランボルギーニのサイトにてその偉業を讃えられ、永遠に語り継がれるであろう人物でもありますね。



関連投稿:GQ「ランボルギーニの天才エンジニア、パオロ・スタンツァーニ最後のインタビュー」

GQ」にて、「ランボルギーニの天才エンジニア──パオロ・スタンツァーニ最後のインタビュー」という記事が掲載。
パオロ・スタンツァーニ氏はランボルギーニ・ミウラの生みの親として知られ、カウンタックの設計、ブガッティEB110の設計にも深く関わっており、「ミドシップ+4WDスーパーカー」という現代にまで続く流れを作った人物。

記事ではそのスタンツァーニ氏の人格に焦点を当てたものですが、数奇とも言えるその人生はなかなかに興味深いもの。
引退後ははボローニャ空港のほど近くにて「ラ・ロカンダ・デル・トーロ(La Locanda del Toro)」という小さなホテルを経営し(没後は娘が経営を引き継いでいる)、そこではランボルギーニ時代の貴重なコレクションも展示されているそうです。

晩年のスタンツァーニ氏はバラの栽培に情熱を傾けたと言われますが、このあたりも「引退後にワインとバラにその愛情を注いだ」フェルッチョ・ランボルギーニと通じるものがあるようですね。

なお、ホテル名の「ラ・ロカンダ・デル・トーロ」は日本語に訳すと「雄牛の宿」。
ランボルギーニに在籍したのは1963年~1974年と短い間でしたが、それでも彼にとってランボルギーニが特別な存在であったことが理解できる命名であり、彼の中にはずっとランボルギーニが存在し続けていたであろうこともわかります。

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