| ボクは自分が一般的な感覚を欠いていることを重々承知している |
さて、今日のポルシェ718ケイマン。
ガソリンスタンドへと給油に行ったのですが、そこで見かけたのが、敷地内の奥にある洗車コーナーにて洗車を終え、クルマを拭き上げる一家の姿。
クルマは新型ホンダ・フィットで(最近急激によく見るようになった)、30台前半と思われる夫婦、そして小学校低学年と思われる女の子の3人でクルマを拭いていて、使用している雑巾はお揃いのピンク(たぶん買ったばかりのウエス)、そして着ている服が(洗車には不向きなほど)全員オシャレ。
かつ夫婦は美男美女、女の子もそれはそれは可愛らしい顔立ちです。
それを見たときぼくが思ったのが「フィットのTVCMに使えそうな光景だ・・・」。
要はそれくらい絵になっていて微笑ましい光景だったということですが、見ているこちらまでもが幸せになるような家族だったのが印象的。
ボクは子どもに愛着が持てない
なお、ここでぼくが改めて思うのが、「ぼくは子どもを持とうと考えたことは一度もない」ということ(そういった光景を見ても、幸せそうだなとは思うが、子どもを欲しいと思ったり羨ましいとは思わない)。
普通の人は大人になると結婚をして子どもをつくるのが当たり前ではあるものの、ぼくは子どもには一切興味がなく、父親になることにもまったく関心がないわけですね。
要は、ぼくは社会不適格者なんじゃないかということで、それが「家にある乗り物はどれも2人乗りか1人乗り」という事実に反映されているのかもしれません。
つい先日、(ぼくの)母親が亡くなりましたが、最後に言われたのが「ついに、子どもを作らなかったね・・・」だったのには心が痛むものの、愛せない子どもを作るわけにはゆかず、ここは自分を貫きたいところ。
子どもに関心が持てない理由はまったく不明で、しかし「子どもを持ちたくない」理由は比較的明白です。※子どもが嫌いなわけではなく、単に関心が持てない
大きなものとしては2つあり、ひとつは子どもを持つと、生活が一変するということ。
時間的余裕や金銭的余裕もそうですが、子どもを持った瞬間から「受粉した植物や、卵が孵った昆虫のように」自分の人生が子どものためのものになってしまうのが嫌なわけですね。
そしてもうひとつは、子どもの残酷さに耐えることができないだろう、ということ。
子供は正直かつ純粋である一方、ときにそれは残酷でもあり、ぼくはきっとそれに傷つけられることになるだろうと考えています。
そういったこともあってぼくは子どもを持たないのですが、世間から見たぼくの印象は「可哀想な人」に見えるようで、つまりは「幸せな家庭を築くことができなかった人生の落伍者」というレッテルを貼られてしまい、ときには面と向かってそう言われることすらあるほど。
ぼくは子どもに関心がない反面、猫とクルマ(とバイク)には強い思い入れがあり、そういったぼくの性質もまた、一般的な感覚を持つ人からすると「よけいに可哀想な人」に映るようです。
ただ、ぼくとしては自分を哀れんだことは一度もなく、好きなように生きているので、死ぬときはたぶん何一つ後悔しないだろう、とも考えています(たとえ今死んだとしても後悔はない。ぼくはそうやって毎日を生きている)。
そしてもし、死んだ後に生まれ変わり、あの幸せな一家のようになれる可能性が選べたとして。
いや、やっぱり今の自分と同じ人生を選択するだろうな。
給油する間の1分か2分の短い時間ではあったものの、ついついそんなことを考えてしまったわけですね。