| ボクは今までパオロ・スタンツァーニ説を信じていたが |
ランボルギーニが「3月11日にて、カウンタックLP500がちょうど50歳を迎えた」と発表。
ランボルギーニ・カウンタックLP500は1971年の3月11日、ジュネーブ・モーターショーにて発表されることとなりますが、当時これを目にした人々の驚きは相当なものであっただろうことが容易に想像できますね。
なお、発表されたのはショー開始時の午前10時、展示されたのはデザインを担当したベルトーネのブースであった、とのこと。
-
よく名前の出て来るベルトーネ。そのデザインや「なぜ消滅したのか」を考えてみる
| ぜひとも後世に残ってほしかったが | 自動車史において外すことができない存在、「ベルトーネ」。1912年にイタリア・トリノで創業し、1930年創業のピニンファリーナ、1968年創業のイタルデザイン ...
続きを見る
ランボルギーニ・カウンタックは現在にまで通じる画期的なデザインや構造を持っていた
ランボルギーニ・カウンタックLP500の「LP」とはエンジン縦置きを意味する「Longitudinale Posteriore(ロンギチューディナル・ポステリオーレ)」ですが、ミウラの場合はエンジン横置きなので「P」のみの表記。
つまり、同じV12ランボルギーニといえどもミウラとは異なるレイアウトを持っていたのがカウンタックであり、この「V12エンジン縦置き」は現代のアヴェンタドールにまで受け継がれています。
さらにはシザースドア、フェンダーの特徴的な切り欠きといった要素も現代まで引き継がれ、カウンタックは発表された時点で「ランボルギーニがランボルギーニであることを決する要素」を持っていたと言えそうですね。
なお、車体の設計はパオロ・スタンツァーニ、ボディデザインは当時ベルトーネに在籍していたマルチェロ・ガンディーニ。
車体構造はセミモノコック(プラットフォームフレーム)、エンジン(5リッターV12)は上述の通り縦置きで、トランスミッションは「エンジンの前」。
サスペンションは前後ともにダブルウイッシュボーンを採用します。
当時、パオロ・スタンツァーにはすでに4WD化も想定していたと言われますが、それは後に「ブガッティEB110」にて実現することになります。
-
ランボルギーニ・ミウラの生みの親、パオロ・スタンツァーニ氏が亡くなる。その功績を振り返ってみよう
| パオロ・スナンツァーニ抜きではランボルギーニを語ることはできない | 最初の350GTにはじまり、ミウラ、カウンタック、エスパーダ、ウラッコにも大きく関与 元ランボルギーニのチーフエンジニア、パオ ...
続きを見る
-
徐々に価値を上げてきているブガッティEB110が競売に。実質的には「カウンタック」後継といえる車を見てみよう
| この世代のブガッティはあらゆる意味で特殊 | 走行距離わずか4540キロのブガッティEB110がオークションに登場予定。 これは「ブガッティ」と名はつくものの、「ヴェイロン」「シロン」を発売した現 ...
続きを見る
カウンタックLP500が市販化されることはなかった
このLP500はプロトタイプ(コードネームLP112)にとどまり、実際に量産が開始されたのは1974年の「カウンタックLP400」から。
LP500からLP400までの間には3年の歳月がありますが、その間に様々な改良(主に熱対策と言われる)が施され、そのため市販バージョンではサイドやCピラーに相当する部分のエアインテークが追加されることに(結果的にドアハンドルがサイドエアインテーク内に格納されることになり、よりスタイリッシュになった)。
そのスタイルはまさにクリーンで未来的であり、今見ても十分に新鮮です。
ちなみにこちらはランボルギーニ本社に展示してある、LP400とLP500との間に作られたプロトタイプ。
訪問したときは普通のLP400だと思ってそこまでじっくり見なかったのですが、あとで「貴重なプロトタイプ」だと知り、今になって「しっかり記録しておけばよかったな」とちょっと後悔。
なぜ「カウンタック」という名に?
そこでカウンタックという名称について。
当時からランボルギーニは「ミウラ」「イスレロ」「ハラマ」など闘牛にちなんだ車名を採用しており、しかし「カウンタック」は闘牛とは関係のない単語です。
これについては今回ランボルギーニが公式に見解を出しており、「カウンタック(Countach)とはピエモンテ地方の方言で、最終アッセンブリの段階で労働争議によって作業を中断されないよう、トリノのグルグリアスコ近郊にある農場の農機具小屋に車体を隠していたところ、農家の人がそれを見つけてしまい、”カウンタック!(ピエモンテ地方の方言で『びっくりした』”と叫び、これを聞いたピエモンテ地方出身のマルチェロ・ガンディーニが、ヌッチオ・ベルトーネ(ベルトーネ創業者)、フェルッチョ・ランボルギーニ(ランボルギーニ創業者)、パオロ・スタンツァーニに対して、この言葉は強い伝達力があると説得し、採用された」。※当寺労働争議は熾烈を極めており、これもフェルッチョ・ランボルギーニが会社を売却しようと考えた一因だと言われる
ただし、この命名の由来について、マルチェロ・ガンディーニは別の記憶を持っており、「プロトタイプ製作中に、ピエモンテ出身のエンジニアが行き詰まったときに”カウンタック”と口癖のように言っていて、それを気に入ったマルチェロ・ガンディーニが英語圏出身のボブ・ウォレス(ランボルギーニのテストドライバー)にその語感を訪ねたところ、”悪くない”ということで決定した」とも(いずれにせよ、マルチェロ・ガンディーニがカウンタックという名称の採用を周囲に働きかけたのは間違いないようだ)。
今となっては真実はわからないものの、いずれの話もカウンタックの開発が難航を極めたことを物語るエピソードでもありますね。
-
ランボルギーニ「カウンタック」はなぜこの名に?そのデザイナーが47年目に真実を語る
| ランボルギーニ・カウンタックのデザイナーが「カウンタック」命名秘話を語る | ランボルギーニが公式にて、「カウンタックの名称の由来」を公開。これはカウンタックのデザイナー、マルチェロ・ガンディ ...
続きを見る
合わせて読みたい、ランボルギーニ・カウンタック関連投稿
-
【動画】これがランボルギーニ創業者が乗っていたカウンタックだ!「カウンタックはやっぱり白であるべきだ」と語っていた模様
| ランボルギーニ夫人が乗っていたのもまたホワイトのカウンタック | さて、今回はランボルギーニ創業者、フェルッチョ・ランボルギーニその人が乗っていたカウンタックを紹介したいと思います。これは「ティレ ...
続きを見る
-
ランボルギーニ・カウンタックはなぜ17年も継続生産され、なぜ1989年に生産を終了せねばならなかったのか?
| カウンタックは今でもランボルギーニの精神的支柱でもある | 東洋経済にて、”倒産を乗り越えた!「カウンタック」の神通力”という記事が掲載に。これはカウンタックが17年も製造されたことに焦点を当て、 ...
続きを見る
-
【動画】え?こんなところにカウンタックを駐車してるの?大乗フェラーリ教教祖、清水草一氏がランボルギーニ・カウンタックを買う
| ボクはこの環境でカウンタックを出し入れする自信はない | さて、大乗フェラーリ教教祖、清水草一氏がランボルギーニ・カウンタック 25thアニバーサリーを購入した模様。同氏は10年ほど前にも一度カウ ...
続きを見る
参照:lamborghini