
| エンツォ・フェラーリの勝利への飽くなき探求心 |
意外なことにエンツォ・フェラーリは「負けても」怒らなかったと記される
エンツォ・フェラーリはひたすら「1位」を目指し、「チームとポイントのことを考え、リスクを冒して1位を狙うより、安全に2位でフィニッシュしてポイントを持ち帰るドライバー」を非常に嫌ったことが知られています。
よって、彼にとっては「勝利以外は意味はなく」、もし負けようものなら怒り狂ったのではないかとも思えるのですが、実際にはそうではなく、ブロック・イエーツによるエンツォ・フェラーリの伝記、「エンツォ・フェラーリ:人間とマシン」によると、”彼(エンツォ・フェラーリ)はむしろ、勝ったときよりも負けたときのほうが機嫌が良かった”。
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フェラーリを設立し確固たるDNAを確立した男、エンツォ・フェラーリはどこでモータースポーツと出会い、どのようにして情熱を傾けるようになったのか【動画】
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「2位は最初の敗者である」
「2位は最初の敗者である」。
これは、フェラーリ創設者エンツォ・フェラーリの有名な言葉ではありますが、彼の目標は常に勝利であり、それを隠そうとはしなかった一方、彼にとって最も重要な勝利は過去のものではなく、「次なる勝利」であったといいます(過去の栄光を自慢したり、過去の成功体験に固執せず、常に未来を見ていたようだ)。
そういった気質のせいか、エンツォ・フェラーリほど、敗北や困難の中にポジティブな側面を見出すことができた人物はいないとも評され、彼にとっては敗北こそがスクーデリア・フェラーリを成長させ、改善させ、頂点へと押し上げるための貴重な教訓であったようですね。
失敗を糧にする独自の哲学
実際のところ、エンツォ・フェラーリの哲学を象徴するエピソードがいくつかあり、たとえば・・・
- 「見込みのある失敗」:彼が初めて製作したマシン「125 S」は、ピアチェンツァでのレースデビュー戦でポンプの故障によりリタイアし、しかし、エンツォはこれを「見込みのある失敗(あるいは幸先の良いスタート)」と呼び、この経験を活かして直後のカラカラのレースで勝利を収める※デビュー戦での敗退についてのセリフは「負け惜しみ」ではなかったようだ
- 「エラーの戸棚」:エンツォは、故障した機械部品をすべて集めた「エラーの戸棚」を持っていたといい、彼はそこで部品を研究し、なぜ失敗したのかを徹底的に分析することで、同じ過ちを二度と繰り返さないようにしたと記録されている
といったものも。
困難な道こそ、成長のチャンス
1988年8月14日にこの世を去ったエンツォ・フェラーリ。
彼が成し遂げた成功は、決して平坦で簡単な道から生まれたものではなく、最も困難な挑戦に立ち向かい、そこから教訓を学び、常に前に進み続けた彼の情熱と努力こそが、今日のフェラーリを築き上げたのだといっていいのかもしれません。
そしてエンツォ・フェラーリにとって、「敗北」とは勝利と同じくらい重要であり、そのポジティブな姿勢そのものがフェラーリを象徴しているのだと思います。
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参照:Ferrari