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メルセデス・ベンツは1959年にBMWを買収する計画を立てていた。ベンツは当時アウディを所有しており、この買収が実現していたら世界が変わっていただろう

メルセデス・ベンツは1959年にBMWを買収する計画を立てていた。ベンツは当時アウディを所有しており、この買収が実現していたら世界が変わっていただろう

| 実際のところ、メルセデス・ベンツとBMWは買収について取締役会レベルで合意に達していた |

結果的にメルセデス・ベンツはアウディを手放し、BMWの買収は実現せず

さて、メルセデス・ベンツの前身であるダイムラー・ベンツがアウディ(となる前の会社)を一時所有していいたことはよく知られる事実ですが、なんと1959年にBMWを買収しようとしていた(そして合意に達していた)ことがあるもよう。

結果的にこれは実現しなかったものの、歴史が少しでも違っていれば、メルセデス・ベンツ、アウディ、BMWの3つが同じ企業傘下の、しかし「異なるブランド」として運営されていた可能性があったわけですね。

ダイムラー・ベンツは1960年~1965年までアウディ(アウトウニオン)を所有していた

まず「メルセデス・ベンツとアウディ」といったところから述べてみると、1958年にダイムラー・ベンツの主要株主であるフリードリッヒ・フリッカー氏が「メルセデスとアウトウニオンを結びつけ相乗効果を発生させる」ことを思いつき、 両者が合意のうえで株式の譲渡が行われ、1960年までにはアウトウニオンがダイムラー・ベンツの完全子会社となっています。

なお、アウディの設立者は創業者はアウグスト・ホルヒという人物で、アメリカの自動車メーカー襲来に備えるべく「DKW、アウディ、ホルヒ、ヴァンダラー」というドイツの自動車メーカー4社を併合して「アウトウニオン」を1932年に設立し、第二次世界大戦後にほぼ消滅してしまうものの、1949年に復活を果たすこととなっています(社名を「アウディ」に変更したのは1985年)。

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ただし1965年1月1日、フォルクスワーゲンがアウトウニオンの全発行株式のうち50.3%を取得して筆頭株主になり、1966年末にVWは残りの株式をすべて購入し、さらに1969年にアウトウニオンとNSUモトーレンヴェルケを合併して「アウディNSUアウトウニオンAG」を設立していて、これがのちの「アウディ」となるわけですね。

なお、この5年の間に両者(メルセデス・ベンツとアウトウニオン)が得たものとしては、「第二次世界大戦後、アウトウニオン初の4ストローク エンジンであるM118を搭載した車」として知られる「アウディ(これが車名だった)」があり、これはダイムラー・ベンツとアウトウニオンとが協力して設計したエンジンを積んで ”アウトウニオンから発売された戦後初のクルマ” です。

そしてダイムラー・ベンツの視点から見てみると、アウトウニオンが1962年に竣工した自社工場が挙げられ、フォルクスワーゲンがアウトウニオンを買収した際にもダイムラー・ベンツはこの工場を手放さず、そして現在はメルセデス・ベンツ最大の商用車生産工場として機能しています(スプリンターなどを生産している)。

1959年、ダイムラー・ベンツはBMWを買収するところだった

そして今回の本題である「ベンツがBMWを買収」という一件についてですが、1958年にダイムラー・ベンツはアウトウニオンの株式取得をはじめており、続く1959年にはBMWの買収を行うべく動き出します。

BMWが発行したプレスリリースによれば、「1959年12月のBMW年次総会では、ダイムラー・ベンツへの会社売却はすでに決まっていたようだった」とあり、両者の間では実質的な合意がなされていたと捉えることが可能です(ただ、明確な記録はないようだ)。

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BMWによると1950年代後半に乗用車とオートバイの販売不振によって(BMWが)窮地に陥っており、該当のプレスリリースには「財政破綻の危機に瀕していた」とまで言及されていて、これがダイムラー・ベンツへの身売りの直接の理由なのだと思われます。

しかしながら実際にはこの買収は実現しておらず、その理由とは「買収の一環である再編計画に対し、株主が猛烈に反発した結果、土壇場で合意が翻された」から。

株主は「BMWとその従業員が過小評価されている」と憤りを感じ(おそらく身売りの金額が低かったのだと思われる)ダイムラー・ベンツが提案した再建計画に同意せず(バラバラに解体され不採算部門が安売りされる計画だったのかも)、買収を免れた後には大株主のハーバート・クワントが再建計画を策定することに。

そこから新型「700」にてBMWは復活の狼煙をあげ、さらにBMWの復活を決定づけたのはご存知ノイエクラッセ(Neue Klasse)シリーズ、つまり「1500」そしてそれに続く1600や1800です。※この際にBMWのスローガン「駆けぬける歓び(Aus Freude am Fahren)」が採用されている

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なお、BMWの買収を検討していた時期、メルセデス・ベンツはコードネーム「W118(下の画像)」なる初のコンパクトセダンを計画しており、これはアウトウニオン製のM118エンジンを積み、アウトウニオンもしくはBMWで生産することを計画していたというので、もしダイムラー・ベンツがBMWを買収することに成功していたならば、「ベンツが企画し、アウディがエンジンを製造し、車体はBMWが組み立てる」というトリプルコラボレーションが実現した可能性もあったわけですね。

ただ、このW118はアウトウニオンによって生産されることもなく、メルセデス・ベンツがコンパクトセダンを発売したのはずっと後の1982年の190シリーズ(W201)です。

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今となっては「もしメルセデス・ベンツがBMWを買収していたら」「もしメルセデス・ベンツがアウディを手放さなかったら」どうなっていたかを知ることは叶いませんが、間違いなく自動車の歴史が変わっていたはずであり、圧倒的な巨人として君臨していたのかもしれません。

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参照:Motor1

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