| 今となっては永遠にわからないことも |
フェラーリの知られざる事実15選、という動画が公開に。
フェラーリは知らないものがいないほど有名な企業へと成長したものの、けっこう謎が多い会社でもあります。
それは創業者である「エンツォ・フェラーリ」というカリスマによって率いられ意思決定がなされてきたということに関係し、そのために議事録などの「記録」がないためとも思われますが、ここでその「知られざる事実」を見てみましょう。
1.フェラーリのエンブレムはイタリアの撃墜王、フランチェスカ・バッカラ伯爵にインスピレーションを受けたものである
これは諸説ありますが、フランチェスカ・バラッカ伯爵の母親から、フェラーリ創業者であるエンツォ・フェラーリが「息子のシンボルである、この跳ね馬を使って欲しい」と言われた、という説。
フェラーリ・ワールドにもこの説が掲げられ、それをイメージしたアトラクションがあるので、公的に認められているものと考えてよさそうですね。
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2.エンツォ・フェラーリはアルファロメオのレーシングドライバーだった
アルファロメオのワークスドライバーとして活躍し、カヴァリエーレ章とコメンダトーレ章を受勲。
しかしながらレーシングドライバーとして突出した才能があったわけではなかったようですね。
その後フェラーリのドライバーを辞してレーシングチーム「スクーデリア・フェラーリ」を設立し、後にチームのマネジメントに専念することに(こちらは偉大なる才能があった)。
3.かつてフェラーリの市販車はレース活動の資金稼ぎのためでしかなかった
フェラーリはレースが本業で、そのレース活動を行う資金を得るために市販車を売っていた、とはよく言われること(エンツォ・フェラーリは本当にレース以外には興味がなかった模様)。
実際にレースに使用した車をロードカー向けに調整し販売しており、この極端な姿勢(一般企業のように利益を得ることが目的ではなかった)がフェラーリのひとつの魅力、と言えるでしょう。
4.フィアットはフェラーリの大株主であり、フェラーリをコントロールしている
フェラーリは株式上場を果たし、その株式を一般に公開してはいるものの、その80%はフィアットの株主に割り当てられています(残り10%はフェラーリ家。さらに残り10%が一般に売買される)。
その80%についてはエクソールが30.05%、ベイリー・ギフォードが2.64%、ヴァンガード・インターナショナルグロースファンドが2.00%、中国人民銀行が2.00%(ほか少数)。
エクソールはフィアット創業者グループであるアニエッリ一族の会社で、つまるところフェラーリもアニエッリ一族の影響を大きく受けているということに。
なお、この一族であるお騒がせ男、ラポ・エルカーン氏は現在フェラーリの役員を務めており、ゆくゆくはフェラーリCEOとなる可能性が大。
5.世界で最も価値のあるクラシックカーはフェラーリ250GTOである
やはりフェラーリはレースに輝かしい成績を残していることから、その価値が非常に高く認識されているようですね。
加えて昔から「売る人を選ぶ」会社であり、営利企業なのに「売らないことで」価値を上げてきた、という歴史も(これが成り立つのはフェラーリだけだと思う)。
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6.1962年のフェラーリ250GTOは、エンツォ・フェラーリ本人が認めた人物でないと購入できなかった
250GTOはレース用のホモロゲーションモデルであり、「Gran Turismo Omologato(グラン・ツーリスモ・オモロガート)」を名に関したスペシャルモデル。
39台のみが製造された、とのことですが、もちろん販売先は「ちゃんとレースに出る」「しかも勝ってフェラーリの名声をさらに轟かせる」ことができるような人々に限られたのでしょうね。
7.フェラーリ=レッド、というのはフェラーリの意図したものではなかった
フェラーリ=レッドというイメージ完全に固定されているようには思うものの、実はフェラーリのカンパニーカラーは黄色。
そのため暫くの間は新車発表についても「レッドとイエロー」両方が用意されていたと言われますが、近年においてはターゲットの拡大にあわせてレッドやイエロー両方が似合わないモデルも登場しています。
なお、フェラーリが外部(ピニンファリーナなど)にデザインを委託していた時代、外部デザインハウスから上がってきたデザインのボディカラーがレッドではなかったため問題になった、という話もあり、世間のつくったイメージとは言えど、それほどフェラーリは「レッド」を重要視している(イメージを大事にしている)、ともいえます。
8.フェラーリ・ワールド・アブダビにはF1ジェットコースターがある
これは0-100キロ加速2.1秒という、ブガッティ・シロンもびっくりのスピードを誇るもの。
速度もそうですが、上下がけっこうきつく、かなり体にこたえるものとなっています。
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9.現存するもっとも古いフェラーリは166スパイダー・コルサである
これは実際に展示を見たことがありますが、「え?子供用?」というくらい小さな車であったことを覚えています。
10.フェラーリは、その歴史上もっとも速い「812スーパーファスト」をリリースしたところである
812スーパーファストはその名の通り「超速」ではあるものの、「おそらく最後の純粋な自然吸気V12エンジン採用」ということでその価値が非常に高いといえるモデル。
すでに2年分ほどは完売、と伝えられていますね。
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11.フェラーリの最初も工場は世界大戦中に同盟国によって爆撃された
これは全くの初耳ですが、第二次世界大戦中に色々あり、それで現在のモデナへと移ったようですね。
12.フェラーリはローマ法王にエンツォフェラーリを寄付したことがある
インド洋大津波被災者救済のためのチャリティーを開催するため、ヨハネ・パウロ二世がフェラーリに「400台目の」エンツォ・フェラーリ(限定台数は399台のみ)を注文し、それにフェラーリが応じた、とされていますね。
加えて「ラ・フェラーリ」においても被災者支援のため「500台目(限定台数は499台)」のラ・フェラーリを製造し、チャリティーオークションに出品しています。
ほかにも東日本大震災において支援を行うなど、フェラーリは非常に熱心なチャリティー活動を行うことでも有名。
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13.2002年発売の「エンツォフェラーリ」は1998年に無くなった「エンツォ・フェラーリ」へのトリビュートである
フェラーリ55周年の折に発表された「エンツォ・フェラーリ」。
創業者の名を関していることでも分かる通り、「エンツォ・フェラーリ」への追悼の意を表すモデルとなっています。
なお車名は「エンツォ」ではなく「エンツォフェラーリ」で、よって正式名称は「フェラーリ・エンツォフェラーリ」。
14.エンツォ・フェラーリはフォードによる買収を拒絶した
1960年代にいったんフェラーリは経営危機に陥り、その際にフォードによる買収が浮上。
契約直前まで進んだとされるもののエンツォ・フェラーリがこれを直前で拒否して交渉は決裂した、とされています。
これに怒ってフォードが「フォードGT(40)」を制作し、ル・マンでフェラーリを打ち負かした、とされていますね。
15.フェラーリは世界で最強のブランドである
これは判断となる指標によって異なりますが、「規模」「利益」ではなく単純にそのブランドを価値換算すると常に上位に来るのがフェラーリ。
ランキングによっては「1位(ナイキやアップル、コカコーラと争うことが多い)」を獲得しているものもあります。
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【競売】エンツォ・フェラーリがアルファ在籍時代に走らせて多くの勝利をもたらした「P3(ティーポB)」が登場
アルファロメオP3(ティーポB)がグッドウッドにて開催されるオークションへと登場予定。
設計はヴィットリオ・ヤーノで、一人乗りの「モノポスト(シングルシーター)」としてはかなり早い時代(もしくは最初)に設計されたものだと言われます。
車体重量は680キロ、エンジンはスーパーチャージャー付きの8気筒。
この「P3」はアルファロメオのレーシングチーム「アルファコルセ」によって実戦投入され、1932年にはイタリアGP含めて6つのGPで勝利するもその後にアルファロメオの経済的事情によって1933年のレースには不参加。
なお、この次期にフェラーリ創業者、エンツォ・フェラーリはアルファコルセのマネージャーとして活動しており(1932年までは自身もドライバーとして走っていた)、しかしアルファコルセがレース活動を行わなくなったことから、それまで自身で運営していたチーム「ソシエタ・アノニーマ・スクーデリア・フェラーリ」をアルファロメオのセミワークスとしてレースへと参加させたのがフェラーリの起源。
1933年にはセミワークスとしてP3を投入したスクーデリア・フェラーリですが、1933年には11、1934年には18、1935年には16のレースで勝利。
ドライバーの中にはタツィオ・ヌヴォラーリ、ルイ・シロン(ブガッティ”シロン”の由来となった人物)も含まれ、アルファロメオP3全体で見ると46もの勝利をあげた、という記録が残っています。
今回オークションに登場する個体はシャシーナンバー5007もしくは50007で、リチャード・シャトルワースによってドライブされたもの。
エンツォ・フェラーリがアルファロメオ在籍時代にセミワークスチームとして走らせたレーシングカーとして知られるだけに自動車史上高い価値を持つとされ、予想落札価格は最高で7億3000万円。
ちなみにエンツォ・フェラーリの運営していたセミワークスチームははアルファロメオへと1938年に吸収され、翌1939年にエンツォはアルファロメオを退社。
その後4年はレース活動を法的に(アルファロメオによって)封じられており、その後の1947年にエンツォはようやくフェラーリを立ち上げてレースにカムバックすることになりますが、1950年から始まったF1グランプリにてアルファロメオを破ることになり、その際エンツォ・フェラーリが口にしたという「私は母親を殺してしまった」という言葉はあまりに有名ですね。