| フェラーリの歴史が動いたとき、常にそこにはレオナルド・フィオラヴァンティがいたようだ |
かつて自動車のデザインは「車体構造や機能」と同時に、そしてエンジニアとともに考えられたものだった
さて、フェラーリは長らくそのデザインをピニンファリーナに委託してきましたが、そのピニンファリーナにて数々のフェラーリをデザインしてきたその人がレオナルド・フィオラヴァンティ。
ピニンファリーナにて24年を過ごし、その後は自身のデザインカンパニー「フォラバンティ」を興しています。
そして今回、ユーチューバーであるダヴィデ・チローニがフィオラヴァンティへとその生い立ちやカーデザインに対する考え方等についてインタビューを行い、42分の動画へとまとめ、自身のYoutubeチャンネルへと公開することに(日本語字幕付き)。
レオナルド・フィオラヴァンティはこんな功績を残している
レオナルド・フィオラヴァンティがフェラーリにてデザインしたクルマといえばディーノ206GT(1968年)、365GTB/4デイトナ(1968年)、365GTC/365GTS(1969年)、365GT4 2+2(1972年)、365GT4 BB(1973年)、308(1975年)、288GTO(1984年)、テスタロッサ(1984年)、328(1985年)、F40(1987年)、348(1989年)、F355(1994年)。
ごらんのとおり、フェラーリの歴史を作ってきた多くのクルマをデザインしていますが、参考までにレクサスLFAも同氏の作品として知られています。
ではどうやってレオナルド・フィオラヴァンティはここまですばらしいクルマたちを作り上げることができるようなデザイナーになったのか?
レオナルド・フィオラヴァンティいわく、「すべての始まりは7歳のとき、小学校3年生のときの授業だった」。
その授業は「模写」だったそうですが、そこで同氏は絵を描くことの楽しさに目覚め、その後数年間には輸送機器(船、自動車、航空機など、動くものであればなんでも)への情熱が高まったと述べています。
なお、レオナルド・フィオラヴァンティの両親はこういった傾向を好ましく思っておらず、絵ばかりを描く息子に対し「もっと学問を真剣にするように」と怒り狂い、あるスケッチには「これがお前の勉強なのか?このクソガキ」と父親が書きなぐった痕跡も。
こういった「自身の歴史」をしっかり残しているところは几帳面で知られる同氏らしいところでもありますね。
そんな中、レオナルド・フィオラヴァンティは父親が所有していたフィアット1100バウレットとトポリーノをこっそり走らせたことから自動車に対する特別な興味を募らせることになり、ピアノのレッスン中であっても、(ピアノの)ペダルをクラッチやアクセルに見立てていたのだそう。
ただしその後、転機が訪れる
やがて成長したレオナルド・フィオラヴァンティ少年は両親に内緒でフィアット500を駆ってレースに出るようになり、モンツァの国際レースで2位に入賞したこともあるのだそう。
ただしこれがきっかけで父親がその才能も認め、「好きなことをするように」という許しが出ることとなったようですね。
その後レオナルド・フィオラヴァンティはカーデザイナーの道に進むことになりますが、そこではエンツォ・フェラーリとの出会いや、フェラーリがフロントエンジンからリアミッドエンジンへと移行する際の興味深い話も語られています(8分30秒くらい)。
なお、レオナルド・フィオラヴァンティは機械工学を専攻していたため、単なる形状だけではなく機能や空力、冷却効果を考えたクルマをデザインすることができたといい、まず最初にデザインしたのは250ル・マン・スペチアーレ(競技用車)。
ピニンファリーナの顧客が「公道用に改造したクルマを欲しい」とオーダーしたことから別途レオナルド・フィオラバンティが(250ル・マン・スペチアーレをベースに)特別にデザインした「ストラダーレ」が作られ、後に16台が追加生産されることとなったそうですが、このクルマでレースに出た顧客もいたといい、ときにはフェラーリに勝つこともあったので、在りし日のエンツォ・フェラーリが「俺のクルマに勝つようなクルマを作ったエンジニアはどこのどいつだ」と怒り狂ったという話も。
さらに、エンツォ・フェラーリはミドシップカーが好きではなく、牛車は牛が引くもので、押すものではない」とも語っていましたが、ロードカーではミウラが登場し、モータースポーツにおいてもミドシップが主流になる中で(フロントエンジンを守り続ける)フェラーリは市販車 / /モータースポーツともに競争力を除々に失ってしまい、そこでフィオラヴァンティが(現状を嘆く)フェラーリのエンジニアとともに画策し、ミドシップカーを作るように説得したという事情もあったもよう(だとすると、デザインだけではなく、構造面においてもレオナルド・フィオラヴァンティは重要な役割を果たしたということになる)。
いずれの話題も非常に興味深いものばかりであり、フェラーリファンのみならずスーパーカーファン、そしてカーデザインに興味のある人にとっては退屈せずに見ることができる動画なのではと思います。
レオナルド・フィオラヴァンティが自身、そしてフェラーリ、カーデザインについて語る動画はこちら
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