美しくも悲しい映画だった、「ブレードランナー2049」
「ブレードランナー2049」を観てきました。
ぼくの人格形成において大きく影響した映画は「スターウォーズ」「エイリアン」そしてこの「ブレードランナー」ですが、今年はこの三つの作品の続編が一気に公開されるという、ぼくにとっては「盆と正月とゴールデンウィークが一緒にやってきた」ような、もう一生こんなことはないだろう、という年。
一作目の展開を思い出させるようなストーリー構成に
「スターウォーズ」「エイリアン」はこれまでも続編が公開されているものの、「ブレードランナー」については続編公開は今回が初。※小説では「ブレードランナー2」があるものの、ストーリーは映画とは無関係
なお「スターウォーズ」「エイリアン」ともに一作目をなぞらえた作品となっているのと同様、今回の「ブレードランナー2049」も第一作目で見せた展開を強く意識させる流れとなっています。
製作総指揮は第一作目の監督であるリドリー・スコット、監督は「メッセージ」のドゥニ・ヴィルヌーヴ。
音楽はハンス・ジマーですが、あちこちにヴァンゲリスの楽曲を意識した編曲がなされており、これまたファン感涙のサウンドですね。
前作で使用されたセリフ「more human than human」というセリフが今回も聞かれますし、「雨の中で流す涙のように、この記憶も消えてしまう」かのように、しかし今回は雪の中で儚く消えてゆく命も前作を強く思い起こさせるところ。
なお今回、劇中だと「ブレードランナー」として登場する「K(ライアン・ゴズリング)」がいきなり「レプリカント」として登場するのは衝撃的。
前作ではデッカード(ハリソン・フォード)がレプリカントかどうかということが議論されたものの、これに関して答えは出ないままですね(レプリカントであることを感じさせるような表現はあるが、決定的ではない。やはり身体的な脆弱さを考えると人間だと考えるのが妥当)。
ちなみにデッカード=レプリカント説は映画公開後にスタッフの一人が「こうだったら面白いかも」という仮説が一人歩きしたもので、リドリースコット監督はこれに関して決定的なコメントはせず、ハリソン・フォードは「人間説」を支持しています(「ファンであれば皆そう思いたいはずだ」、と発言。ぼくもそう思う)。
「人間」の定義は何なのか?
ぼくは「ブレードランナー」について、一作目そして今回の「ブレードランナー2049」両方についてもテーマは「記憶」と「命」だと考えていますが、人間を定義するのは何かというのも重要なメッセージでは、と考えています。
今回は「新たな生命の誕生」ということからさらに話がややこしくなっているものの、非情なはずのレプリカントが最後には「人間の命を救う」のも前作と一緒。
そう考えると人間かどうかというのは「人から生まれた」「製造された」という区別よりも、「人を思いやることができるかどうか」なのかもしれませんね。
なお、今回登場する車はプジョー(第一作目ではアルファロメオが登場した)。
空を飛ぶこともできる「ガルウイング(シザースドア)採用」のスリーホイーラーですが、これはプジョーがこれまでにもスリーホイーラー(三輪車)をリリースしてきたことに関係しているのかもしれませんね。
ちなみに「ブレードランナー2049」の劇中にて語られる「大停電」というものがあり、こちらは別途渡辺信一郎監督による作品「ブレードランナー ブラックアウト 2022」にて語られる予定。
なお、ドゥニ・ヴィルヌーヴ監督による、「ブレードランナー2049」に到るまで、2036年と2048年の短編も公開されています。