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ポルシェ創業者とその息子が1939年にビートルをもとに作った高性能車。世界でただ一台だけ存在する「VWの皮を被ったポルシェ」の物語

投稿日:2019/05/02 更新日:

もともと911は「ビタミン剤を飲みすぎた(元気のいい)ビートル」とも呼ばれた

ちょっと特別な「フォルクスワーゲン・タイプⅠ(ビートル)」とその逸話が公開に。
もともとフォルクスワーゲン・タイプⅠはポルシェ創立者、フェルディナント・ポルシェの設計ですが、これには1933年当時、ヒトラーがフェルディナント・ポルシェに依頼して行われたもの。

当時ヒトラーは「高速道路の距離が国の力を決める」「国民一人ひとりにクルマを」といった信念を持っており、フェルディナント・ポルシェもクルマの普及を自身の目標としていたために手を組んだ、と言われています。

「フォルクスワーゲン」の意味は「国民車」

そこで1937年に設立されたのが国営企業(当時)としてのフォルクスワーゲンですが、これはフォルクス(人民の)ワーゲン(クルマ)という意味となっていて、まんま「国民車」ということになりますね。※現在のフォルクスワーゲンはこの名称や生産設備を引き継いでいる

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そしてフェルディナント・ポルシェは「小型で効率の良い」クルマを好んでいたためにリアエンジン、4人乗りというレイアウトをタイプⅠ(ビートル)に採用。

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ちなみにWikipediaによれば、ヒトラーがフェルディナント・ポルシェに出した注文は下記の通り。
ヒトラーはクルマについて相当に詳しかったようで、空冷エンジンを選択したのもメンテナンスの容易さや構造のシンプルさ、そしてラジエター液が凍ったり、不凍液が手に入らない環境下でもちゃんと機能することを考慮した、とも言われます。

・頑丈で長期間大きな修繕を必要とせず、維持費が低廉であること
・標準的な家族である大人2人と子供3人が乗車可能なこと(すなわち、成人であれば4人乗車可能な仕様である)
・連続巡航速度100km/h以上
・7リッターの燃料で100kmの走行が可能である(=1Lあたりの燃費が14.3km以上である)こと
・空冷エンジンの採用
・流線型ボディの採用

そこで今回のタイプⅠですが、これは1939年に製造されたプロトタイプ「VW39」唯一の生き残り(プロトタイプにはVW38も存在。実際のタイプⅠの大量生産は1941年から)。

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そしてVW39について、フェルディナント・ポルシェ、そして息子のフェリー・ポルシェはVW38よりも「速いクルマ」にしようと、1938年に制作した「フォルクスワーゲン・ベルリンローマ速度記録車(下の画像)」に搭載されるタイプ64エンジンをVW39プロトタイプに搭載しようと計画。

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このフォルクスワーゲン・ベルリンローマ速度記録車はVW38をベースとしており、「ポルシェ64」もしくは60K10として知られていますが、これはベースこそVW38であるものの、ポルシェ父子がエンジンや車体に徹底的に手を入れたもの。
32馬力から40馬力へと出力が引き上げられ、695kgという軽量性、流線型ボディによって、当寺としては驚異的とも言える最高速度は145キロをマークしています。

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VW39は高性能車として50台が生産されるはずだった

そしてポルシェ父子はVW39の制作に取り掛かり、もともとの予定では50台を生産する予定であったものの(VW38は58台が製造されている)、折悪しく勃発した第二次世界大戦の影響によってVW39は14台のみの生産にとどまることに。

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そして戦争が終わる頃には14台のうち13台が失われ(どう失われたのかはわからない)、そして生き残っていたのがこのシャシーナンバー1-00003のみという状況に。

そして戦争が終わって数年が経過した1948年、このVW39は「ひどい状態で」コレクターに売却され、その後に「ハンブルク・プロトタイプ・ミュージアム」運営者であるトーマス・ケーニッヒ氏とオリバー・シュミット氏の手に渡っています。

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そして3年をかけてこのVW39はレストアされて当時と同じ姿に復元されていますが、このVW39は「ポルシェ父子が当時作りたかったクルマ」であり、そのエンジンもポルシェ父子のキモ入りだと言ってよく、つまり「形はビートルなれど中身はポルシェ」。

なお、フェルディナント・ポルシェは戦後に「ヒトラーに協力したカドで」戦犯として逮捕され、1947年まで収監されることに。
その後息子であるフェリー・ポルシェらの尽力によって釈放されますが、釈放された直後に「フォルクスワーゲンの工場に寄るように」息子に指示し、そこで続々とラインオフして出荷されるタイプⅠを見て、自身の夢が実現したことに涙したとも伝えられています(フェルディナント・ポルシェはプロトタイプ生産の頃しか知らず、量産化を目にしていない)。

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VIA:CARSCOOPS

 

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