| これらについて明確な定義はなく、「一般的な認識」によって分類されることが大半である |
ただし、ボクは自分なりの見解を持っている
さて、「スポーツカーとは何か、そしてどこからスーパーカーとなって、さらにどういったクルマがハイパーカーなのか」といった論説が公開に。
これは非常に難しい問題であり、記事中では「911ターボSはフェラーリやランボルギーニのスーパーカーと互角に戦えるのにスーパーカーとは認識されていない」「パガーニ・ウアイラはポルシェ911GT3 RSよりも遅いのに、誰もがハイパーカーだと認めている」といった現象を例に挙げ、一定の定義を見つけ出そうとしています。
まず今回は「スポーツカーとして成り立つ要件」について考えてみましょう。
スポーツカーとはいったい何なのか
そこでまず「スポーツカー」についてですが、記事だと「スポーツカーとは、モータースポーツに参加する車両を指し、ボディタイプに依存しない」「モータースポーツに参戦することを前提に開発されたロードカー」が一般的な定義であるとしています。
ぼくもこの定義に異論はなく、よってラリーに参戦することを前提に開発されたハッチバックや4ドア(5ドア)セダンもやはりスポーツカーであり、GRヤリス、ランサーエボリューションもやはり「スポーツカー」であるという認識です。
ただ、イメージ的には(モータースポーツうんぬんは抜きにして)「2ドアクーペ」「2ドアオープン」こそがスポーツカーであるという印象も拭えず、そのためマツダ・ロードスターは”モータースポーツ参戦のために作られたクルマではない”ものの、れっきとしたスポーツカーであるとも捉えています。
その一方、同じ2ドアであっても、かつて存在したトヨタ・サイノス / サイノス・コンバーチブルはスポーツカーとは呼べないだろうとも捉えており、そう考えるとますます”スポーツカー”の定義が難しくなってきて、スポーツカーを決する要素は「その生い立ちやボディ形状にとどまらず、様々な要素が複合的に混ざりあって成立している」ということなのでしょうね。
参考までに、ある小説(タイトル失念。たぶん山川健一の著書だったと思う)にて、弟が「英国製のスポーツカーを買った」と聞いて姉がそれを友達に自慢しようとしたところ、そのクルマがロータス・コルティナ(コルチナ)だったためにがっかりしたというくだりがあるのですが、ロータス・コルティナは生粋のレーシングカーとして誕生したという側面を持つものの、箱型ボディを持っていたため、アルファロメオ・スパイダーのようなクルマを想像していた姉にとっては「コレジャナイ」だったのかもしれません。
さらに言及するならば、たとえば、ぼくにとって(2ドアであっても)レクサスRCはスポーツカーではないという認識で、レクサスLCについてもスポーツカーと呼ぶにはちょっと抵抗があり、レクサスLCについては「(スポーツカーではなく)GTカー」に分類したほうがしっくり来るかもしれません。
加えて「ホンダ・プレリュード」もまたスポーツカーとして捉えることは難しく、しかしGTカーでもなく、ホンダの言う通りに「スペシャルティ」としておくのが一番いいのだろう、とも考えています。
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「GTカー」とはどういったクルマ?
そしてこの「GT」というのも(表現的に)くせ者で、スポーツカーとは呼びにくい、スポーティなクルマをそこにまとめて放り込んでおこう的な傾向も見られます。
「GT」とはグランドツーリングを意味しており、しかしフェラーリ250GTO(GTO=GT選手権用のホモロゲーションモデルという意味でGran Tourismo Omologatoの頭文字)のように生粋のレーシングカーでもGTという文字を持つことでもわかるとおり、欧州では「GT」についても純粋なスポーツカーという認識があるといい、日本や米国で一般的に捉えられているGT=グランドツーリング=長距離をゆったり快適に走ることができるスポーティーなクルマ、という認識とはずいぶん相違があることもわかります(日産GT-Rについても、GTという文字があるからといってグランドツーリングカーという印象はなく、GT選手権のような、モータースポーツ的イメージが強い)。
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ただ、最近は欧州の自動車メーカーであっても、メイン市場である米国にあわせたのか「GTカー=ゆったりと長距離を走れるスポーティなクルマ」という分類を行うようになっていて、現在ではフェラーリも「スポーツ」「GT」といった分け方をしていて、「スポーツ」はミドシップスーパーカー、そしてフロントエンジンであっても812スーパーファスト/812GTSのようなピュアスポーツ、そして「GT」はローマのような快適志向のクルマにプロサングエといった分け方です(ただ、V12エンジンをフロントに積むGTC4ルッソは”GT”に分類されていたので、同じフロントV12エンジンでも812系とは明確に線が引かれている)。
ちなみにフェラーリではGT系の定義について「エレガンス」「コンフォート」という言葉を用いており、ほかブランドから客を奪うことをその使命として課しているようにも感じますが、これらを鑑みるに、GTとは「高級路線にややシフトし、生粋のスポーツカーほど(運動性能向上のために)大きな代償を支払ってない」、まだ一般的な親しみやすさを持つスポーツカーの一種であり、そして生粋のスポーツカーが支払った代償のいくばくかを取り戻したクルマだとも考えられます(そして安定性や快適性、実用性を確保するため、ある程度のサイズも必要である)。
こんな感じで「考えれば考えるほどキリがない」のがスポーツカーですが、馬力は「スポーツカーであること」を決定する要素ではなく(たとえばホンダS660やビートはスポーツカーである)、いうなればスポーツカーとは、快適性・利便性よりも運動性能を重視し、不要なものと妥協を排除したパフォーマンス特化型のクルマであると捉えていいのかもしれません。
その観点においては、メルセデスAMG C63は(非常に高い出力とパフォーマンスを誇りながらも)スポーツカーとは呼び難く、それは運動性能のみならず、コンフォート性能やユーティリティなど「すべて」を追求したからだと考えられ、一般的にスポーツカーの定義だとされる「パフォーマンス最優先、そのほかは二の次」という性質とは異なる性格を持つからだとも考えられます(さらに、もともとのベースがコンフォートなセダンであり、生い立ちがスポーツカー的ではない)。
なお、マセラティ・グラントゥーリズモは「スポーツカーではなくGT」だと明確に捉えていますが、ベントレー・コンチネンタルGTスピードがGTかというと(ぼく的には)違和感があり、それは「高級車然とした」たたずまいがすそう感じさせるのかもしれません。
高級車と高額車はどう違うのか
参考までに、ぼくにとってポルシェ(911)やフェラーリ、ランボルギーニは「高級車」ではなく「高額車」。
この定義は簡単で、ぼくの中で高級車とは「高級であることを目指し、高級な素材や装飾、快適性を盛り込んで作った高額なクルマ」であり、ポルシェ、フェラーリ、ランボルギーニの場合は「すべての設計や素材、装備はパフォーマンスのために決定される」のであって、たとえばカーボンファイバーなどの高額な素材を使用するのは”高級であるため”ではなく”(スポーツカーとしての運動性能を確保することを目的とした)軽くあるため”であり、その結果として高くなってしまったクルマだと認識しています。
よって、仮に同じ価格であっても、(メルセデス・ベンツやベントレーのような)高級車とポルシェ、フェラーリ、ランボルギーニとは全く異なる設計思想を持っていて、こういった理由からぼくは「ポルシェ、フェラーリ、ランボルギーニは高額ではあるが、高級車ではない」と考えているわけですね。
ひとまずここでまとめておくと、おおよそは以下の通りかと思います。
- スポーツカーとは、「モータースポーツ参戦のために設計されたクルマ、もしくはスポーティな運転、パフォーマンス、ドライバーの楽しみを主な目的とし、快適性や実用性は二の次であるクルマ」であり、馬力は重要ではない
- GTカーとは、より速く、より快適に長距離を移動できるクルマであり、スポーティな運転、パフォーマンス、ドライバーの楽しみは必ずしもトッププライオリティではない
参照:CARBUZZ