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近代唯一の「ジウジアーロ x フェラーリ」。世界に1台の「GG50」:ジウジアーロ自らが描いた“50年目の集大成”とは

近代唯一の「ジウジアーロ x フェラーリ」。世界に1台の「GG50」:ジウジアーロ自らが描いた“50年目の集大成”とは

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| フェラーリというと「ピニンファリーナ」というイメージではあるが |

この記事の要約

  • 特別な1台: 2005年、ジョルジェット・ジウジアーロのデザイナー活動50周年を記念して製作されたワンオフモデル
  • 自らの手でリデザイン: フェラーリ「612スカリエッティ」をベースに、ジウジアーロ本人が究極の空力と実用性を追求
  • V12の咆哮: 540馬力を発生する5.7L V12エンジンを搭載し、最高速度は320km/hに達する
  • イタルデザインの現在: VWグループ傘下から離脱。2025年現在、新たな転換期を迎える名門デザインハウスの動向
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ジョルジェット・ジウジアーロとフェラーリが交差した奇跡の瞬間

自動車業界においてジョルジェット・ジウジアーロは「その名を知らない者はいない」ほどの巨匠であり、自身た立ち上げたデザインハウス「イタルデザイン」を通じて初代フォルクスワーゲン・ゴルフ、デロリアン、フィアット・パンダなど数々のベストセラーを生み出してきたことでも知られています。

そんな巨匠のキャリア50周年という節目とし、長年のクライアントであるフェラーリが特別な許可を与えることで誕生したのが「フェラーリ GG50」。

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2005年の東京モーターショーで世界初公開されたこのクルマは、単なる展示物ではなく、ジウジアーロの「デザイン哲学」が詰まった実走可能な芸術品として今も語られています。

なお、フェラーリは長らく(1951年~2013年、つまり60年以上)そのデザインをピニンファリーナに独占的委託していたため、ジョルジエット・ジウジアーロとの関わりは「基本的に」存在せず、記録として残るのは(ジョルジエット・ジウジアーロがベルトーネに在籍していた頃の作品である)「250 GT "Competition" Berlinetta SWB Speciale Bertone(1960年)」と「250 GT Berlinetta SWB Speciale Bertone(1962年)」。

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後者は当時のフェラーリF1マシンを彷彿とさせる「シャークノーズ」が特徴で、このクルマはヌッチオ・ベルトーネ自身の所有車でもあり、2015年のオークションでは1,650万ドル(当時のレートで約20億円以上)で落札されたことでも有名です。

ちょっと話は逸れるのですが、このほかには「ASA 1000 GT(1962~1967年)」というクルマも存在し、これもある意味では「フェラーリとジョルジエット・ジウジアーロの共作」で、その概要を簡単に説明しておくと以下の通り。

ASA1000GT:車両の概要

  • 別名: 「ピッコロ・フェラーリ(小さなフェラーリ)」や「フェラリーナ」と呼ばれる
  • デザイン: 当時ベルトーネに在籍していたジョルジェット・ジウジアーロが担当
  • 設計: エンジン設計には、フェラーリの伝説的なエンジニアであるジョット・ビッザリーニも関わる
  • 希少性: 総生産台数は非常に少なく、クーペモデルで約70〜100台程度とされている

1. なぜフェラーリ名義ではなかったのか?

このプロジェクトはもともと、エンツォ・フェラーリが「より手頃で、日常的に使える小型スポーツカー」を求めてスタートさせたもので、しかし以下の理由からフェラーリブランドでの発売は見送られたという経緯が存在します。

  • ブランドイメージの維持: 当時、フェラーリは「V12エンジンを搭載した高級スポーツカー」としての地位を確立しており、4気筒の小型車を出すことでブランドが希薄化することを懸念したと言われている
  • 新会社の設立: 最終的に、フェラーリの顧客であったデ・ノラ家が中心となり、ミラノにASA(Autocostruzioni Società per Azioni)社を設立し、フェラーリが設計・製造を支援する形で発売される

2. 「フェラリーナ」と呼ばれたエンジン

エンジンはフェラーリのV12エンジンの設計をベースにしており、いわば「V12を3分の1に切り出した」ような構造を持っています。

  • 型式: 1.0リッター(1,032cc)直列4気筒 OHCエンジン
  • 出力: 最高出力 91〜95 ps を発揮し、最高速度は 185km/h に達する
  • 技術: 当時としては非常に先進的な、4輪ディスクブレーキやチューブラーフレームシャシーを採用していた

3. デザインと希少性

  • デザイン: 当時23歳の若きジョルジェット・ジウジアーロによるもので、ベルトーネらしいエレガントなラインが特徴
  • 生産台数: 高価すぎた(シボレー・コルベットよりも高かった)ため販売は苦戦し、販売台数が少ないこと、その生い立ちから「幻のフェラーリ」としてコレクター市場で高い人気を誇る

「GG50」のデザインは持ちのフェラーリFFにも影響を与える?

このGG50に話を戻すと、そのデザインはある意味で「ワゴン的」。

ベースは612スカリエッティといえど、FFを連想する人も多いのではないかと思います。

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そしてこの類似性については実際にGG50は関係している可能性も否定できず、というのもフェラーリはFFの開発に際してジウジアーロにプロトタイプの制作を依頼したことがあるとされ(ただし公式には発表されていない)、当時出回ったリーク画像によれば「ハイライダー」的なスタイルを持つGG50という印象。

GG50が2005年発表、FFが2011年発表という「6年の空白」があるものの、GG50が「正式にフェラーリの許可を取って制作されたクルマ」であることからジウジアーロとフェラーリとの関係性が発展し、それがFFのプロトタイプ制作、さらには市販のFF、そしてGTC4ルッソのスタイリングへと繋がった可能性も否定できないであろう、と考えています(もちろんFFのデザインはピニンファリーナである)。

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GG50のベース車両「612スカリエッティ」との違い

GG50は、当時のフラッグシップ2+2モデルである「612スカリエッティ」をベースにしていますが、その外観はジウジアーロの手によって劇的に変化しています。

  • コンパクトなボディ: 全長を約4インチ(約10cm)短縮し、よりスポーティで筋肉質なプロポーションを実現
  • 革新的なパッケージング: 燃料タンクの位置を変更することで、後部座席の居住性と荷室スペースを同時に向上
  • F1の技術を注入: F1スタイルのシーケンシャル・ギアボックスを採用し、ステアリング裏のパドルシフトで操作
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フェラーリ GG50 主要スペック

項目スペック
エンジン5.7リッター 65度 V型12気筒
最高出力540 hp
最大トルク588 Nm
0-60mph加速約4.2秒
最高速度320 km/h
ベースモデル612スカリエッティ

インテリア:親子二代で作り上げた「究極の2+2」

内装のデザインには、ジョルジェットだけでなく息子のファブリツィオ・ジウジアーロも深く関わっており、特筆すべきは「後部座席へのアクセス性」。

リアウィンドウの傾斜を工夫し、ハッチバックのような構造を一部取り入れることで大人がスムーズに乗り降りでき、かつ広大なラゲッジスペースを確保することに成功していますが、これは、「美しさと実用性は両立できる」というジウジアーロの信念を具現化したものです。

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知っておきたい知識:なぜ「612スカリエッティ」という名なのか?

ベースとなった車の名前にある「スカリエッティ」とは、フェラーリの創始者エンツォ・フェラーリと親交が深かった伝説の車体職人、セルジオ・スカリエッティに由来します。

彼は1950年代のフェラーリ・レーシングカーのボディを数多く手掛けたことでも知られており、GG50はジウジアーロだけでなく、フェラーリを支えた偉大な職人たちの歴史も受け継いでいるというわけですね。

結論:名門イタルデザインが迎える「2025年の新章」

ジウジアーロが去った後のイタルデザインは、フォルクスワーゲン(VW)グループの傘下でアウディR8ベースの「ゼロウーノ」を発表するなど独自の道を歩むことに。※2010年にVWグループ傘下のランボルギーニがイタルデザインの発行済株式の90.1%を取得、2015年: 残りの9.9%の株式をアウディが取得し完全子会社へ。この際、創業者のジョルジェット・ジウジアーロはすべての役職を退いている

しかし2025年末、VWグループはコスト削減の一環としてイタルデザインの売却を行っており、その対象は「米国のIT企業」、UST。

自動車のデザイン会社とIT企業というと「一見してミスマッチ」のようにも思えますが、今後イタルデザインはこのIT企業傘下にてDX改革を進めるといい、「自動車デザインとデジタル」との統合を進め、ソフトウエア定義車両の開発を推進することになるとも発表されています。

なお、支配株式を売却したといえど、VWグループは(ランボルギーニを通じ)依然イタルデザインの株式を保有し続け、今後もイタルデザインとの関係性を断ち切らず継続するともアナウンスしているため、将来的にはなんらかの「新しいイタルデザインからのフィードバック」を見ることができるのかもしれません。

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参照:Italdesign

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