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スーパーカーもエンターテイメント重視の時代へ突入か。メーターやバブリングに思う

2015/08/21

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最近のスーパーカーは「馬力」や「速く走る」という要素の他、「雰囲気」というところも非常に重要視しているように思われます。

かつて、スポーツカーやスーパーカーといえばストイックで、いろいろなものを犠牲にしてでも速く走ることがトッププライオリティであったと思うのですね。

ですが、技術の進歩によってサルーンでもスポーツカー同様の「速さ」を持つことができるようになり、「速さ」だけを追求しても競争力を保てなくなったと考えられます。
サーキットを走るなら別ですが、一般の人が高速道路で車をすっ飛ばすのであれば、おそらくはメルセデスAMGのほうがストイックなスポーツカーよりも快適で安全はなずで、そうなるとスポーツカーってなんなの?なんで苦労してまで狭くて低い車に乗るの?という感じになると思うのですね。

エンジンが非力な時代であれば軽量化によって運動性能を向上させるしかないのですが、今はどんどんエンジンの出力が上がっており、どんな車でも必要十分なパワーを得られる時代ですので、軽量化と動力性能についてはかつてほどシビアではなくなっていると思います(コンマ1秒を削るような場合を除いて)。

そんな流れもあって、スーパーカーの存在する理由、というのも今と昔ではちょっと変わってきていると思うのですね。
スポーツカー以外がスポーツカーばりの性能を持つに至っているのは上述のとおりですが、逆にスポーツカーもサルーンばりの快適性を持つに至っており、スポーツカー、スーパーカーもどんどん快適になってきていると考えるわけです。

そして無視できないのが現代の風潮で、やはりガソリンの浪費、CO2排出については非常に厳しくなってきています。
実際のところ大型サルーンやミニバンのほうが燃費などがスポーツカーより悪いことのほうが多いのですが、雰囲気的にスポーツカーは燃費が悪いと見られがちで、かつ可能な乗員あたりの燃料消費量と考えると、ことさらスーパーカーは不利です。

よってスポーツカー、スーパーカーとも環境問題を意識する必要があり(最近だとポルシェ911、ボクスター、ケイマンのターボ化が端的)、このあたりもスポーツカーの存在意義が大きく変わっているところ。

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もうひとつ重要なのは中東や中国といった「新たな」購買層の出現。
それまでのスポーツカー、スーパーカーというのは欧米加えて日本の、「ある程度スキルがあり、ある程度走行させる環境が整っており、かつメーカーの歴史的背景も理解した」人々が購入するものであったと思いますが、中東や中国の場合は道路など環境もさほど良くなく、運転技術も(免許取得年数が浅い場合が多い)さほど高くない場合があって、かつ自己主張の手段として購入される場合が多くメーカーやブランドの歴史的バックボーンもさほど気にしない、という傾向が発生しているわけです。

となると、スポーツカーやスーパーカーも「極限の性能」を持ちながらも(これは外せない。でないと従来の顧客が離れる)経験の浅い人、サーキットを走らない人にも十分に楽しめるような車でなくてはならず、そのために今まで以上のデザイン性や(乗らなくてもコレクションの一部として視覚的満足が得られるだけの)快適性、低速で走っていても楽しめる装備が必要になると考えるのですね。

最近はスーパーカーにもれなく装備されるようになった走行モードの選択も同じで、本来は「サーキットなどスポーツ走行をする時に脚周りを固める」というところから発生し、今では逆に「街中でも(足回り、サウンドなど)スポーティーな味付けを楽しめる」という性格が濃くなっているようにも思います。
バブリングも同様で、これはあっても「機能的には無意味」だと思うのですが、「あれば楽しい(つまり走行性能には関係はないが、精神的充足度は高くなる)」装備ではありますね。

前置きが長くなったのですが今回ぼくが取り上げたかったのは「メーター」で、たとえばランボルギーニだとアヴェンタドール、ウラカンに採用される液晶メーター。
これは非常に表示がグラフィカルで、変速時にギアの表示がピョコンと大きく表示されてひっこんだり、とゲームのような表示に。
これをヨシとしない向きも多く(スーパーカーはストイックな乗り物で、エンターテイメント性は不要と考える向きも多い)、しかし「新たな購買層」にはアピールでき、かつ先進性を強調するには最適だとぼくは考えます。
低速で走っていても、それ以前にエンジンをかけただけでも高い満足感が得られますし、メーターは単なる計器ではない、ということを改めて認識させてくれるのですね。

古くはコルベットの「エンジン始動時に振り切れる針」、アストンマーティンの「Power/Beauty/Soul」といった表示と左右対称なタコメーターとスピードメーター、アウディやVWのニードルスイープも同じで、なんらかの「気分を盛り上げてくれるもの」だとも考えられます。
スポーツカー、スーパーカーはモータリゼーションを考えた時に存在そのものが「不要」なものとも考えられ、しかしわざわざその「不要なもの」に乗る意味をぼくに思い起こさせてくれるわけですね。

そしてさらに最近は少し考え方が進んでいるようで、ドライバーの感じる、そういった満足感や高揚感をパッセンジャーにも楽しんでもらおう、という向きも感じられます。

たとえばフェラーリにオプションで用意される助手席メーターもそうで、現在の速度などを助手席からも視覚的に理解できるように、という意図だとぼくは考えています。

そして面白いのはウラカンのメーターで、これは自発光式のためにフードを大きくする必要がなく、フードが浅い構造に。
かつ、左右方向のフードの奥行きがさらに「浅く」なっており、右ハンドルでも左ハンドルでも、助手席側からそのメーターの動きが理解できるようになっているのですね(ぼくが想像するに、そういうことなのだろうと考える)。

今まではパフォーマンスを視覚的に表現する(ポルシェ991/981からオプションで追加されるGフォースメーターも同様)、というものはあまりなく、計器はあくまでも「現状もしくは危険値を読み取る」ものであったと認識していますが、計器類=視覚的にパフォーマンスを表現する、というところにおいてもスポーツカー、スーパーカーは新しい局面を迎えているようですね。

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