| ランボルギーニはかつて「ディアブロのみ」しか販売していなかった時期がある |
そしてランボルギーニ61年の歴史において、「1車種のみで耐え抜いた」のはディアブロのみである
さて、ランボルギーニ・ディアブロが「もっともアイコニックなスーパーカー」のひとつであることに誰しも異論はないかと思いますが、先代であるカウンタックの流れを引き継いだシンプルでクリーンなラインに四輪駆動の導入、そしてフェラーリF40をも上回る最高速度を誇り、ランボルギーニのスーパーカーを一気に「近代化」させたクルマでもあります。
このディアブロの誕生は多くの困難のもとに成し遂げられたことがいままでにも報じられていて、しかし今回YouTubeへとさらにその背景を掘り下げる動画が公開されており、その内容を見てみましょう。
-
ランボルギーニ・ディアブロは今年で誕生30周年!ディアブロとはどういったクルマだったのか、その歴史やモデルごと販売台数を見てみよう
| ボクにとって、もっともランボルギーニらしいクルマは今でもディアブロだ | ランボルギーニが「今年でディアブロの発売30周年を迎えた」と発表。ディアブロは1990年1月に発売されていますが、開発が開 ...
続きを見る
ランボルギーニは「クライスラーに買収されることで」その命運が大きく変わる
まずランボルギーニはカウンタックの後継モデルとしてディアブロを1988年に発売する予定であったものの、その1年前の1987年にクライスラーがランボルギーニを買収したことでその計画は大きく変更されることに。
まずクライスラーはディアブロのデザインを(米国での流行を取り入れ、エッジの効いたスタイルから丸っこいスタイルへと)変更したいと考え、デザイナーのマルチェロ・ガンディーニに対し、元々のデザインコンセプトを大幅に修正するように強制します。
これにはマルチェロ・ガンディーニも大いに不満を感じたものの、契約上の問題もあってそれに従う必要が生じ、結局ランボルギーニはスタイルの変更を行って1990年にディアブロを発売。
ところがスーパーカーマーケットは当時発生した世界的な不況とともに不遇の時代へと突入しており、その影響で市場はほぼ壊滅状態へと陥ってしまったわけですね。
かくして「(ランボルギーニをもってスパーカー市場へと参入しようと考えた)読みが外れた」クライスラーは1994年にランボルギーニを売却し、その後、複数の投資グループが所有することになりますが、最終的には1998年にフォルクスワーゲンがランボルギーニを買収し、アウディの傘下へと置かれます(現在もその状態が継続している)。
そこでアウディはランボルギーニ・ディアブロのアップデートに取り組み、さらなる進化を遂げることになりますが、ディアブロは11年間の生産期間の間、なんとランボルギーニのオーナーが4回も(クライスラー、メガテック、Vパワー、アウディと)変わることとなり、さらに、車両の開発がクライスラーの介入前(ミムラン所有時代)から始まっていたため、実際には5つのオーナーを跨いでいるということに。
よってディアブロはそれぞれのオーナーのもと非常に多くの変遷を経ており、しかしそれでもディアブロは素晴らしいクルマに仕上がっていて、カウンタックを大幅に上回る進化を遂げながらもランボルギーニの本質を保ち続ることでその「伝説」を形作っているわけですね。
そしてアウディの支配下において、ランボルギーニは順調に成長しつつ、現在では3つの主要モデル(ウルス、レヴエルト、テメラリオ)にラインアップを拡大し、かつ生産台数も飛躍的に増加していますが、ディアブロは「ランボルギーニがかつては灯りを守るのが精一杯だった時代」から、フォルクスワーゲングループの中でも最も重要なブランドの1つに成長するための架け橋となった重要なモデルです。
参考までに、ディアブロのモデルライフ最終年である2001年のランボルギーニの売上は280台、しかし直近(2023年)では9,836台を販売していますが、かつてランボルギーニは「ディアブロしか」ラインアップを持たなかったので(1995年〜2001年)、ディアブロが存在しなければランボルギーニは存続していなかったのかもしれません。※ランボルギーニの歴史の中で、「1車種のみ」で耐え抜いたのは、最初の350GTとその発展型の400GTを除くとディアブロのみである
このように、ディアブロは単なるスーパーカーにとどまらず、ランボルギーニが一時期存続の危機に直面しながらも、再生と成長を遂げる重要な役割を果たし、その背後には複雑な歴史と数多くのオーナーの手が関わっていたことがわかりますが、それでもディアブロはスーパーカー史において不朽の名車であり続けています。
そしてもうひとつディアブロについて付け加えておくならば、ディアブロは「計画では」2000年にモデルチェンジがなされ新型に切り替わる予定であり、その新型スーパーカーとして企画されていたのが「カント(別名:スーパーディアブロ)」。
-
「ディアブロ後継」として発売直前だった「ランボルギーニ・カント」。発売キャンセルの理由とは?
| 発売直前まで行っていた、幻の”次期ディアブロ” | ザガートがデザインした「ディアブロ後継モデル」、”Canto(カント)”ことスーパーディアブロ(1998)。 コードネームは「L147」とされる ...
続きを見る
ただし当時のフォルクスワーゲングループの会長、フェルディナント・ピエヒ氏がこのカントのデザインを気に入らなかったためにディアブロは予定外の「延命」を受けることに。※フェルディナント・ピエヒ氏はランボルギーニをフォルクスワーゲングループに招き入れたその人でもあるので、その意見を聞かないわけにはゆかなかったのだと思われる
-
ポルシェ創業者一族、フェルディナント・ピエヒ氏が亡くなる。アウディ・クワトロ、ブガッティ・シロンなどVWグループの「顔」をつくり続けた豪傑
| ここまで方針が明確で、推進力と権力を持った人物は他にいなかった | ポルシェ創業者一族にしてポルシェ創業者の孫、さらに前フォルクスワーゲン会長、フェルディナント・ピエヒが82歳にて亡くなった、との ...
続きを見る
さらに付け加えると、この「延命」期間が伸びることを想定し、いったんディアブロの販売を終了し、後継モデルが登場するまでに「ラプター」なるスーパーカーを販売する計画も考案されていますが、結果的にこのラプターは幻と消え、2001年にムルシエラゴが登場しています。
-
ランボルギーニ・ディアブロ後継モデルが出るまでの「つなぎ」で発売されるはずだった”ラプター”。親会社変更によって陽の目を見ることがなかった幻のクルマが競売に
| 当時はかなり込み入った事情があったらしい | 1996年に発表された「ザガート・ラプター」が、アブダビにて開催されるRMサザビーズ・オークションに出品予定。ザガート・ラプターは、当時現役だったラン ...
続きを見る
ランボルギーニ・ディアブロの「隠されたストーリー」を紹介する動画はこちら
合わせて読みたい、ランボルギーニ・ディアブロ関連投稿
-
ランボルギーニがイベントにて「レストア中の」ミウラとともに希少なディアブロSE30を展示。専用カラーのパープル”ランボ・サーティ”が美しい
Image:Lamborghini | このディアブロSE30は認証取得のためにランボルギーニへと送られ、その作業が進められる | ランボルギーニ・ディアブロの価値はこの数年で大きく上昇 さて、ランボ ...
続きを見る
-
これからもっとも有望なネオクラシックスーパーカーはランボルギーニ・ディアブロ?5年で136%もの値上がりを記録
| とくにマニュアル・トランスミッション採用モデルの価格上昇率は著しい | ネオクラシックスーパーカー市場には大量の資金がなだれこんでいる さて、近年のスーパーカー市場は大きな変革の時を迎えており、そ ...
続きを見る
-
ランボルギーニは60年の歴史においてこんなコンセプトカーやワンオフモデルを作っている。(2)意外とディアブロベースのワンオフも多かった
| ディアブロベースだと、プレグンタ、カント、ラプターといったモデルも | 近代のランボルギーニも多数のワンオフモデルを製作している さて、ランボルギーニの60年にわたる歴史の中で登場した様々なワンオ ...
続きを見る
参照:OTS(Youtube)