
| 「SV」の意味は時代とともに変わり続ける |
ランボルギーニにおける「SV」は何を意味するのか
さて、ランボルギーニのハードコアモデルには「SV」という称号が付与されることが多く、しかしこれは現時点では「V12モデルのみに許される」名誉の2文字です。
つまり、ウラカンやウルスといったV8モデルはこの「SV」を名乗ることができず、ここからもランボルギーニが「SV」をV12モデルと強く結びつけ、かつV12エンジンを神聖視していることがわかりますが、今回はこの「SV」について掘り下げてみましょう。
ミウラ SV:究極の称号「SV」のルーツ
まずランボルギーニの歴史において最初に「SV」という称号が与えられたのは”ミウラ”。
「標準」の350馬力のミウラ、370馬力のミウラSに続き登場したのが385馬力のミウラSVです。※正確な生産台数は断定が難しいものの、ミウラ SVはわずか150台が生産されたというのが一般的な見解
これ以降、この二文字「SV」は、ランボルギーニのクルマがその本来の範囲を超えて限界を押し広げた究極のバージョンを意味するようになり、それらは非SVモデルよりも強力で、よりアスリート的であると言い換えることも可能です。
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「SV」はSuper Veloceではない? Miuraに込められた「Spinto」の意味
さて、そこで疑問となるのが「SV」が何を意味するのか。
恐らく現代のランボルギーニファンは「Super Veloce(スーパー・ヴェローチェ)」、つまり「超速い」の略だと考えるかもしれません(イタリア語では、単純な言葉でも格好良く聞こえる。クアトロポルテ=4ドアなど)
たしかに現在のランボルギーニでは「SV=Super Veloce」を意味するものの、元祖SVでもあるミウラにおいて「SV」はそれを意味しておらず、ミウラにおけるSVは「Spinto Veloce(スピント・ヴェローチェ)」の略であり、直訳すると「押し進められた速さ」ということに。
この「Spinto」という言葉は、単に車両が性能的に「押し進められた」という意味以上の、より深い含意を持っていて、その直訳では元の言語のニュアンスを伝えきれないのが”ちょっとももどかしい”ところです「。
- 音楽的な意味合い:「Spinto」はオペラ(イタリアで多少人気のある演劇形式)における用語で、「Spinto ソプラノ」や「Spinto テノール」は、大きなオーケストラの上をほとんど努力せずに声を張り上げることができる声質を指します。
- 内面的な衝動:ケンブリッジ辞典の例文にあるように、「Si sentì spinto a perdonarlo(彼は彼を許さずにはいられなかった)」のように、内面的な場所からの衝動や、そうせざるを得ない感情を示します。
- 俗語的な意味:より口語的、比喩的な用法では「レーシー(racy)」または「リスキー(risqué)」といった意味にも翻訳されます。
こういった感じで「Spinto」は物理的な意味合いというよりも情緒的、あるいは感情的なニュアンスを多分に含んでおり、ランボルギーニは、この「Spinto」という言葉を、単なる「チューニングされた」という意味ではなく、内面的な衝動によってパフォーマンスが押し上げられた、という詩的な意味合いを込めて選んだのかもしれません。
ディアブロ、ムルシエラゴ、アヴェンタドールへと続く「SV」の系譜
ミウラの後に「SV」の称号が与えられたのは1995年の「ディアブロ」で、1971年の「ミウラSV」からずいぶん間が空いてしまうことになります。
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そしてディアブロの後継モデルであるムルシエラゴ、さらにアヴェンタドールにも「SV」が追加されており、つまりところ「SV」はランボルギーニV12モデルのハードコアバージョンとして”一つの定番”となっており、よってレヴエルトにも「SV」が設定される可能性は非常に高い、とも考えられます。
モデル | 登場年 | SVの意味 | 特徴 |
Diablo SV | 1995年 | Sport Veloce (スポーツ・ヴェローチェ) | 出力は530馬力に向上。大型のフロントブレーキ、冷却ダクト、調整可能なリアウィングを追加。約39kg軽量化。 |
Murciélago SV | 2009年 | SuperVeloce (スーパー・ヴェローチェ) | V12エンジンの最終進化系。出力は670馬力。スペースを入れず一語で表記されるようになった。 |
Aventador SV | 2016年 | SuperVeloce (スーパー・ヴェローチェ) | 750馬力。極端な691馬力のアヴェンタドールLP 700-4をさらに過激化。0-100km/h加速は3秒を大幅に下回る。 |
SVJの「J」が意味するもの
そしてアヴェンタドールでは「SV」に加えて「SVJ」がその頂点として君臨しており、この「J」は「Jota(イオタ)」の略。
これはランボルギーニのテストドライバーだったボブ・ウォレスが、国際自動車レース規則の付則Jからその文字を取り、ミウラの本格的なレーシングバージョンである「Jカー(通称:イオタ)」を製作しようとしたことに由来するのですが、「J」という”略”を採用したことについては諸説あって、最も有力なのは「当時、ランボルギーニはレースに参戦しないという社是を持っており、レーシングカーの製作が禁止されていたので、それと(創業者であるフェルッチョ・ランボルギーニに)さとられないよう、暗号的な意味で「J」の一文字のみが採用された」というもの。※結局、そのJカーはレースに出場することはなかった
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こういったいくつかの要素もあり、ミウラ「SV」のS、つまりSpintは「リスキー」という意味を含んでいたのかもしれない、というジョークがまことしやかに囁かれているわけですね。
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参照:Jalopnik