>アウディ(Audi) >ポルシェ(Porsche)

アウディTT企画時には「ポルシェ版」も作られる可能性があった!その知られざるエピソードをTT生みの親が語る。「政治的理由があり、うまくゆかなかったのです」

アウディTT企画時には「ポルシェ版」も作られる可能性があった!その知られざるエピソードをTT生みの親が語る。「政治的理由があり、うまくゆかなかったのです」

| ポルシェ在籍時に考案したデザインがアウディに持ち込まれ、TTとなったことは知っていたが |

さらにデザイナーは「TT」という名も同時に考案したようだ

さて、アウディTT(とくに初代)は自動車史においてもっともアイコニックなクルマの一台だと認識していますが、現在は世界中の各市場にて販売が終了しており、ここ日本でもTTの販売終了を惜しみ、最終記念限定モデルが登場したばかります。

日本市場でもついにアウディTTが販売終了に。最終記念限定モデルとしてブロンズカラーをアクセントに持つ「メモリアルエディション」が100台限定、927万円で登場
日本市場でもついにアウディTTが販売終了に。最終記念限定モデルとしてブロンズカラーをアクセントに持つ「メモリアルエディション」が100台限定、927万円で登場

| 現時点でアウディTTの「後継」は決まっておらず、ひとまずはいったん販売終了、そしてラインアップから姿を消すことに | 一時は4ドアやSUV化にてTTの生き残りが検討されたというが、今ではその夢も潰 ...

続きを見る

そして今回報じられているのが、「ポルシェ版のアウディTTが登場する可能性があった」という事実で、これはTTの生産終了を記念して開催されたイベントにて、初代TTのデザイナーであるフリーマン・トーマス氏がカーメディアに語ったもの。

初代TT企画時には、ポルシェ版TT、アウディ版TTのデザインが同時になされる

当時アウディに在籍し、デザイナーを務めていたフリーマン・トーマス氏によれば、TTの企画に際し、「ポルシェバージョンとアウディバージョンのデザインを依頼され」、ポルシェ側のデザイナーもまた「ポルシェバージョンとアウディバージョンのデザインを依頼された」とのこと。※当時のポルシェのデザインチームは、ハーム・ラガーイ氏によって率いられていたものと思われる

なお、フリーマン・トーマス氏はポルシェに在籍していた経験があり、よってポルシェのDNAをよく理解していたようで、それを踏まえて「アウディ版はよりアウディらしく(ポルシェとは被らないよう)」デザインし、当時アウディのデザイン部門を率いていたジェイ・メイズ氏に「彼ら(ポルシェ)がやろうとしているのはこれ、私たち(アウディ)がややるべきなのはこれ」だと説明してデザインを提示したのだそう。

フリーマン・トーマス氏が作成したのはバウハウス的なデザインを持ったクルマで、ポルシェがデザインしたTTは非常にスタイリッシュであったといいます。

その後はアウディ本社にて会議が持たれることになり、しかしこれは「極秘」で行われたとされ、メンバーはアウディとポルシェのデザイングループ、そしてアウディ上層部のみ。

そこで双方のデザインチームがそれぞれ2つのスケールモデルをもって会議に臨み、しかし”主に政治的な理由から”それはうまく進まなったとも語っています。

Audi-TT-RS-Iconic-Edition (18)

当時、アウディとポルシェとは「仲が良くなかった」

ここでちょっと説明をしておくならば、当時のポルシェとアウディとは別会社であり、ポルシェがアウディとおなじフォルクスワーゲングループに入ったのは2012年です。

アウディTTの登場は1998年で、(TTの)コンセプトカーの発表は1995年なので、今回フリーマン・トーマス氏が語っている「会議」は1993年あたりだと思われ、となるとここで出てくる疑問が「なぜ別会社であるアウディとポルシェとが一緒にTTを考えたのか」。

これはひとえにポルシェ創業者一族であるフェルディナント・ピエヒ氏が絡んでいるからだと思われ、当時フェルディナント・ピエヒ氏はアウディの取締役を努めており(1988年に就任、1993年にVWグループ会長職へ)、つまりはアウディ内ではかなり高い地位にあったものと思われます。

一方でポルシェに対しては「創業者一族」ということで、所有する株式という形で関与していたわけですね。

1132919

ポルシェ創業者一族、フェルディナント・ピエヒ氏が亡くなる。アウディ・クワトロ、ブガッティ・シロンなどVWグループの「顔」をつくり続けた豪傑

| ここまで方針が明確で、推進力と権力を持った人物は他にいなかった | ポルシェ創業者一族にしてポルシェ創業者の孫、さらに前フォルクスワーゲン会長、フェルディナント・ピエヒが82歳にて亡くなった、との ...

続きを見る

そしてポルシェは当時「新しいスポーツカー」を開発しようと考えていて、そこでフェルディナント・ピエヒ氏がアウディで持ち上がった話をポルシェと結びつけ、共同開発を行おうと考えたのかもしれません。

ただし当時のポルシェ、そしてアウディは関係性のない別々の会社であり、フリーマン・トーマス氏の言うように「政治的な問題(利害の不一致)」が存在したこともうなずけます。

1132921

その後、二回目の「ポルシェとアウディ」との会議が持たれるが

そして「うまくゆかなかった」一回目の会議の後にも二回目の会合が持たれることになり、ここではもう少し進んだ話へと踏み込んでいて、そこでフリーマン・トーマス氏が用意したのは「オープンモデル」。

その理由としては「一回目の会議ではクーペモデルの反応が芳しくなかった」から。

42781689694_3882929a3e_b

それでも製品化に向けて具体的な話へと進行したこともまた事実であるようで、しかしポルシェはアウディに対し「4WDを採用しないよう」「ポルシェ版よりも馬力を低く抑えるように」という制限をかけようとし、どうやらここで交渉が決裂したもよう。

かくしてアウディは突如1995年のフランクフルト・モーターショーにて(クーペ版の)アウディTTを発表しポルシェを”出し抜く”わけですが、ここからTTの歴史が始まったというわけですね。

1109076

参考までに、ポルシェはこの「ポルシェ版TT」とはまた別にプロジェクトを進行させていたと見え、それが「ボクスター」。

ポルシェは1993年のデトロイト・モーターショーにおいてボクスター・プロトを発表しており、時系列的に考えるとこれは「アウディTTとは別のラインにあった」計画だと考えられます。

mom16

ポルシェ
「そうだ、フロントにエンジンを積んでみよう」「911を生産中止から救った男」など、ポルシェ75年の歴史において転換期となった年、そして人物8選

| ポルシェはこの75周年を時代のうねり、数々の転換期とともに過ごしてきた | そして現在の成功は、いくつかの大きな判断の上に成り立っている さて、ポルシェは今年でスポーツカーの生産を開始して75周年 ...

続きを見る

ただしTTはもともと「ポルシェ」として考えられたようだ

もう一つ参考までに、今回の報道とは別に、ケン・オクヤマ(奥山清行)氏もアウディTTの開発秘話について語っており、自身の著書「ムーンショット デザイン幸福論」では、当時自身がポルシェに在籍していた際、フリーマン・トーマス氏は「新しいポルシェ」を考えるというプロジェクトに携わっていて、ここで考えたのが”のちにアウディでTTとなる”原型。

ただ、ポルシェではそのデザインが却下されてしまい(TT市販の15年前の話らしい)、しかし自身はそのデザインに愛着があったために自宅のキッチンでコツコツとクレイモデルを作り続け、そのためケン・オクヤマ氏ら同僚はこれを「キッチンカー」と呼び、「キッチンカーのデザインは進んでいるかい?」といった会話が日常的になされていたと記しています。

その後フリーマン・トーマス氏はアウディに移籍し、上述の通りアウディにて自身のキッチンカーを提案することになるのですが、それを見たフェルディナント・ピエヒ氏が「これだよ、これ」と言い放ち、その場で生産を決めたというエピソードも紹介されています。

なお、同時期にアウディにてデザイナーを努めていた和田智氏も本件について触れていて、フリーマン・トーマス氏はポルシェで仕事をしていたために「ポルシェらしさ」を知らず知らずのうちに表現する手法を身に着けていたのではないか、だからこそポルシェ創業者一族であるフェルディナント・ピエヒ氏がフリーマン・トーマス氏の作品にポルシェの面影を見て製品化を即決したのではないかとも述べています。

IMG_1831

「TT」にはこんな意味がある

なお、アウディTTの「TT」とは、イギリスのマン島にて開催されるバイクレース(TT=ツーリングトロフィー)に由来することがよく知られていますが、今回フリーマン・トーマス氏はさらなる「秘話」についても言及。

これによると、フリーマン・トーマス氏はアウディの歴史をひもとき、もともと4つのブランド(アウディ、ホルヒ、DKW、ワンダラー)が合併してできたこと、その後に(主にバイクを生産していた)NSUを併合してアウディが成立したことに着目し、そのNSUが「プリンス1000TT」というスポーツバイクを生産していたことを知ったそうですが、アウディ内でこのNSUを調査しようとしたところ、アウディ及びフォルクスワーゲングループの記録にはほとんどNSUの情報が残っておらず、しかし調査に出向いたVWグループの図書館の学芸員が「TT」と印刷されたライターをたまたま持っていて、そこにインスピレーションを受けてデザインしたのが「TT」のロゴであることを明かしています。

アウディが新しいエンブレムへの移行を発表!フォーリングスはそのままに「どこから見ても同じ印象となるよう、そして我々のルーツを示し、著しく現代的に」
アウディが新しいエンブレムへの移行を発表!フォーリングスはそのままに「どこから見ても同じ印象となるよう、そして我々のルーツを示し、著しく現代的に」

| 現在多くの自動車メーカーがそのエンブレムの変更を発表し、その出自の見直しと再ブランディングを行っている | 傾向としては「極力シンプルに」、そしてハイコントラストへ さて、デジタル時代が到来するに ...

続きを見る

つまりフリーマン・トーマス氏はTTのデザインを行ったのみではなく「TT」というモデル名までも考案した人物だということになりますが、TTは当初ポルシェとして考案され、しかしそれが却下された後に(それを考案した)デザイナーがアウディへ行き、そしてアウディで認められて製品化されたという稀有なクルマの例で、さらにその過程では「ポルシェもアウディTTの兄弟車を導入する可能性があった」ことが今回語られたわけですね。

そう考えると、このアウディTTというクルマは非常に数奇な運命をたどったと考えてよく、なかなかに面白いストーリーを持っている、と思います(ポルシェ版のアウディTTを見てみたかった気もするが)。

DSC01182

合わせて読みたい、アウディ/ポルシェ関連投稿

ポルシェ・カイエンは当初「メルセデス・ベンツMクラスをベースに」そのハイパフォーマンス版として企画されていた!実際に開発が進められるも破局を迎えることに
ポルシェ・カイエンは当初「メルセデス・ベンツMクラスをベースに」そのハイパフォーマンス版として企画されていた!実際に開発が進められるも破局を迎えることに

| やはりポルシェとメルセデス・ベンツとは仲がいいのか悪いのかわからない | ただし結果的に自社による設計を行うこととなったため、これで良かったのだと思う さて、ポルシェが「カイエンの発売20周年」を ...

続きを見る

こんなコンセプトカーもあった。スチームパンクなアウディ「ローゼマイヤー」

| アウディはとことん「弩級」が好きなようだ | 2000年6月1日に発表されたアウディのコンセプトカー「ローゼマイヤー」。ウォルフスブルグにあるアウディパビリオンのオープニングセレモニーにてお披露目 ...

続きを見る

初代アウディTTへのオマージュ。TT発売20周年記念、「Audi TT 20 years」が999台限定にて登場

| 初代アウディTTへのオマージュ | 新型TTを発表したばかりのアウディですが、矢継ぎ早に限定モデルを発表。 これは「Audi TT 20 years」アニバーサリーモデルと題されたものとなり、99 ...

続きを見る

参照:CARBUZZ

この記事が気に入ったら
いいね ! しよう

Cirqua_Recommend / 1845256

->アウディ(Audi), >ポルシェ(Porsche)
-, , , ,