| この25台の振り分けをどうやって決めたのかがちょっと気になる |
おそらくはいくつかのシャシーナンバーに人気が集中したものと思われる
さて、ゴードン・マレー・オートモーティブ(GMA)は「T.50s」グッドウッド・メンバーズミートにてダイナミックデビューさせる予定ですが、それに先駆けて限定台数25台全ての「シャシー名」を発表。
このT.50sはT.50をベースにしたサーキット走行専用モデルであり、25台すべてには「ゴードン・マレーが今までに手掛けたレーシングカーが勝利を獲得したサーキット名」が付与されるのだそう。
グッドウッド・メンバーズミートではT.50sが実際に走行することに
なお、このグッドウッド・メンバーズミートではT.50sのプロトタイプ 1 (XP1) が15,000人の観衆を前に走行することになるといい、会場ではコスワースの開発による3.9リッターV12エンジンが12,100rpmまで回転する様子を拝めるのかもしれません。
加えて「ジェームズ」と命名されたT.33の最初の開発プロトタイプもお披露目されるそうですが、現地では「ゴードン・マレー祭り」となる可能性が大きそう。
なお、このT.50s には「ニキ・ラウダ」というサブネームが与えられていて、ニキ・ラウダとゴードン・マレーが関係するのは、ニキ・ラウダが1978年のスウェーデンGPで(ゴードン・マレーが設計した)ファンカーとして知られるF1マシン、ブラバムBT46のドライバーを務め、2位に30秒もの大差をつけて圧倒的な終章を飾ったからであり、グッドウッド・メンバーズミートではこの世を去ってしまった偉大なドライバーへの追悼も行われることになりそうですね。
25台のGMA T.50sのシャシー名はこうなっている
そこで今回発表された25台それぞれのシャシー名は以下のとおりですが、25番目の「ラ・サルト(サルト・サーキット)」を除くと全てF1マシンが獲得した勝利であり、となると「25番目」のT.50sがもっとも高い価値を誇ることになるのかもしれません(実際のところ、1995年のル・マン24時間でのマクラーレンF1の勝利がこれらの中では一番印象的かもしれない)。
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1974年 南アフリカ、キャラミ
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1974年アメリカ、ワトキンスグレン
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1975年 ブラジル、インテルラゴス
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1975年 ドイツ、ニュルブルクリンク
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1978年 スウェーデン、アンダーストープ
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1980年 イタリア、イモラ
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1980年 オランダ、ザントフォールト
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1981年 アルゼンチン、ブエノスアイレス
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1982年 モナコ、モンテカルロ
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1982年カナダ、モントリオール
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1983年 ブラジル、リオ
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1983年 イタリア、モンツァ
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1983年 英国、ブランズハッチ
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1984年 アメリカ、デトロイト
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1985年フランス、ポール・リカール
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1988年 メキシコ、メキシコシティ
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1988年 英国、シルバーストン
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1988年 ベルギー、スパ・フランコルシャン
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1988年 ポルトガル、エストリル
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1998 スペイン、ヘレス
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1988年 日本、鈴鹿
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1988年 ドイツ、ホッケンハイム
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1988年 ハンガリー、ハンガロリンク
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1988年 オーストラリア アデレード
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1995年 フランス、ラ・サルト
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