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ランボルギーニが生み出した伝説のSUV「LM002」の物語。軍用車としてのルーツ、失敗作とされたLM001を経て再評価されるまで

ランボルギーニが生み出した伝説のSUV「LM002」の物語。軍用車としてのルーツ、失敗作とされたLM001を経て再評価されるまで

| ランボルギーニLM002は「早すぎた」存在であり、しかしいまようやく「時代が追いついた」と言えるだろう |

ある評論家は「なんとしても手に入れろ」とこのクルマを評価している

さて、ランボルギーニは「ウルス」の投入によって大きく成長していますが、ランボルギーニというと「ミウラ」「カウンタック」といったスーパーカーのイメージが強く、よってウルスのようなSUVの投入については「え?」と思った向きも多いかもしれません。

ただしランボルギーニはフェラーリやアストンマーティンにはない「過去の資産」があり、それは「LM002」。

もちろんこのLM002については「誰もが知る」存在ではないものの、しかしLM002という世界初のラグジュアリーSUVの存在があったために(ランボルギーニは)ウルスの発売を正当化することができたのだとも考えられ、ここでそのLM002について振り返ってみましょう。

ランボルギーニから世界初の“スーパーSUV”が登場

1980年代初頭、ランボルギーニはまさに破産の危機から立ち直ろうとしていたという状況であり、新たなオーナーのもと資金を得ることによって再び「世界を驚かせる美しいマシンを作る」という使命に立ち返ります。

アイコンであるカウンタックは大幅なアップデートを受け、デザイナーやエンジニアの発掘も世界規模で行われ、しかしその裏で、業界の未来を変える“極秘プロジェクト”が静かに進行していたわけですね。

1986年のブリュッセル・モーターショーで発表された「LM002」がまさにそのクルマであり、それはまさに「今まで誰も見たことのないエキゾチックSUV」。

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その強烈なルックス、そしてシルベスター・スタローンが愛用していたことから「ランボ・ランボー」とも呼ばれ、しかしこのLM002を際立った存在としたのは「カウンタックのエンジンを積んでいたこと」。

ランボルギーニは「V12の終焉」を迎えるにあたり過去のV12モデルを振り返るコンテンツをいくつか公開していますが、今回は「カウンタックとLM002」という、一見すると真逆の位置にあるように思える二台に焦点を当てています。
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ただし、このモデルは商業的に見ると成功というより“失敗作”に近かく、しかし結果的に「高性能SUV」というジャンルを切り拓く存在となり、40年後の現在であってもそのコンセプトは業界を席巻しています。

軍用プロジェクトから始まった異色の道のり

LM002のルーツは、実は軍用車開発にあり、この軍用車両が企画された1970年代中盤、ランボルギーニは売上不振とオイルショックによって経営が困難な状況へ。

そこへ米国の防衛企業「MTI」から軍用輸送車の設計案を提示され、ランボルギーニはそれに飛びつき「チーター(Cheetah)」というコンセプトカーを開発したわけですね。

1977年のジュネーブ・モーターショーで公開されたチーターは、リアエンジン&V8エンジン搭載、さらにFRPボディをまとうといった構成を持ち、しかし走行性能に難があったとされ、そのため米軍はより優れた「ハンヴィー(Humvee)」を正式に採用します。

さらにランボルギーニはフォードから「自社のXR-311と酷似している」として訴訟をちらつかされ、プロジェクト「チーター」は暗礁へと乗り上げることに。

その後、BMWとの共同開発も頓挫してランボルギーニは1978年に破産してしまうのですが、1980年にスイスのジャン=クロード&パトリック・ミムラン兄弟に買収され、CEOとなったパトリックがチーターのコンセプトに再び興味を持ったことでプロジェクトが”サルベージ”されることになったというのが一般的に知られる経緯です。※ミムラン兄弟は様々な可能性を模索しており、当時はランボルギーニの名を冠したバイクも製造されている

LM002誕生への試行錯誤

そしてミムラン兄弟のバックアップのもと、1981年には「LM001」が登場しますが、これはAMC製V8エンジンを搭載して”チーターの進化版”としてジュネーブ・モーターショーにて披露され、しかし操縦性に課題があるとされ再び大幅な見直しが実施されます。

ここでエンジンをフロントに移し、カウンタックのV12を積んだ「LMA002」が1982年に公開され、そして1986年、ついに完成形「LM002」が世に登場し、ランボルギーニはこのクルマをもって「超高級SUV」というジャンルを事実上創り出したわけですね。

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LM002は徹底した“やりすぎ精神”で作られたクルマでもあり、最新のチューブラーフレーム、レザーとウッドでまとめられた高級インテリア、そしてルーフスピーカーという珍装備も完備。

性能面では、カウンタック由来の5.2L V12エンジンが3トン超の車体を7.7秒で100km/hまで加速させ、最高速度はなんと190km/h。

ピレリと共同開発された専用タイヤ「スコーピオン」は、砂漠でもアスファルトでも走行可能という驚異のスペックを持ち(とんでもなく高価なことでも知られる)、前代未聞のこのクルマはビバリーヒルズのセレブからサハラ砂漠の王族までをも魅了することとなって当初は800台以上の予約を獲得したといいます。

しかしその価格は当時で12万ドル(インフレを考慮すると現在の価値で約3800万円)という高額な設定であり、しかも1台ずつ手作業で生産されるためにコストが高くなってしまって(この価格設定であったも)採算が取れず、結果的に生産は301台で終了してしまいます。

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そして伝説に――今こそ再評価されるLM002

40年経った今、SUVは市場の中心的存在となり、ランボルギーニも「ウルス」を世界的ヒットに導いていますが、現在ではロールス・ロイス・カリナン、アストンマーティンDBX、ベントレー・ベンテイガ、フェラーリ・プロサングエなどの「超高価格帯SUV」が登場しています。

ただしこれらすべての道は、あの“ランボ・ランボー”へとつながっているのだとも考えられ、ランボルギーニがLM002にて「ラグジュアリーSUV」という概念を世に示すことがなければ、これらの成功はなかったのかもしれません。

こういった背景もあり、今やLM002は、自動車史上最も大胆で”過剰であった”一台として語り継がれ、カーマニアの心を掴み続ける存在として再評価されているというのが今の状況です。

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映画「フェラーリ」の原作者としても知られる名評論家、ブロック・イェイツが1987年の試乗記で語った言葉を借りれば――

「どうにかしてでもこのランボルギーニを手に入れろ。他のポルシェもフェラーリもカウンタックも、すべて時代遅れに見えてくるだろう。」

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