| ジャンニ・アニエッリがいなければ、フェラーリは他の会社に買収され、その魂を失っていたかもしれない |
フェラーリにとって、これ以上のパトロンはいなかっただろう
さて、フェラーリをフォードの買収から救ったフィアット創業者一族、ジャンニ・アニエッリ(ジョヴァンニ・カルロ・フランチェスコ・アニェッリ)が死去してから2023年1月24日で20年が経過しますが、フェラーリが偉大なるジャンニ・アニエッリに焦点を当てたコンテンツを公式にて公開しています。
フェラーリは「ジャンニ・アニエッリがいなければ今日のフェラーリはない。アメリカ、もしくはフランスや中国の自動車メーカーになっていたかもしれないのだから」と述べ、その偉業をたたえています。
ジャンニ・アニエッリはフィアット創業者の孫として生を受け、フィアットに入社したのち1963年にフィアット社長へと就任しており、その後ランチア、アルファロメオ、マセラティ、そして1969年にはフェラーリを傘下に収めますが、6月18日に締結された契約によってフィアットがフェラーリの株式50%を取得し、エンツォ・フェラーリが亡くなった日からその割合を90%にする、という取り決めを行っています(エンツォ・フェラーリが保有していた10%の株式は、その息子のピエロ・フェラーリに譲渡されている)。
-
エンツォ・フェラーリ唯一の子孫、ピエロ・フェラーリが自身の所有するフェラーリ株をその子孫に残す手続きを開始。今後もフェラーリ一族はフェラーリの経営に関与
| ただし、フェラーリ一族といえど、現在の最大株主であるフィアット創業者一族に反対できないという密約付き | ピエロ・フェラーリはエンツォ・フェラーリの後継者にふさわしい人物だった さて、現在唯一の「 ...
続きを見る
ジャンニ・アニエッリはなによりフェラーリを愛していた
映画「フォードVSフェラーリ」によると、フォードがフェラーリを買収しようとした際、ジャンニ・アニエッリは「全権をエンツォ・フェラーリに残したまま」フェラーリを支援すると申し出ていますが、ジャンニ・アニエッリはフェラーリのファンでもありコレクターでもあったといい、それまでに所有してきたフェラーリはほぼ全てがカスタムメイドであったといいます。
彼にとって初のフェラーリは1948年のトリノ・モーターショーに出展された166MMで、このショーで166MMを見た直後に内外装をブルーとグリーンにて統一するというカスタム仕様にてオーダーを行ったそうですが、このクルマが「フェラーリ史上初の」ワンオフモデルであったのだそう。
その後1952年にはフェラーリ456にフェラーリ212インテルのルーフを組み合わせ、さらに(夜間走行に備え)大型のヘッドライトを備えたクルマをオーダーしたことも。
その後は375アメリカのトランスミッション・トンネル上にクロノグラフを配置したり、1959年にもワンオフの400スーパーアメリカをオーダーしています。
ジャンニ・アニエッリはフェラーリ・テスタロッサ・スパイダーをオーダーしたことも
そしてジャンニ・アニエッリがオーダーしたクルマとしてよく知られるのが1980年代のテスタロッサ・スパイダー。
テスタロッサにはもともとオープンモデルが存在せず、これはオープン化したのみではなく新デザインのリアフードや、 マグノリア・ホワイトのトップ、グリージョ・ニュルブルクリンク(シルバー)のボディカラー、ブルーのインテリアを持つことが特徴です。
なお、ジャンニ・アニエッリは1950年代に事故によって左足を切断しており、義足を使用していたのでクラッチを踏むことができず、そのため特別に(本来は存在しない)オートマチック・トランスミッションが採用されています。
-
フィアット元会長がフェラーリに作らせた、ワンオフの「テスタロッサ・スパイダー」公開。数々のドラマがそこにあった
★すでにオークションにかけられ、1億5000万円で落札★ フェラーリは今年70周年を迎え、世界各地でイベントを開催中。そんな中、ジャンニ・アニェッリ氏のために作られた、「世界に一台のテスタロッサ・スパ ...
続きを見る
そして1989年にはやはり電子制御式クラッチを持つF40を注文することに。
ジャンニ・アニエッリは太っ腹な人物だった
なお、ジャンニ・アニエッリは非常に太っ腹で知られていたといい、当時フェラーリの社長を務めていたルカ・ディ・モンテゼーモロの結婚祝いとして、360スパイダーをベースにした360バルケッタを(ピニンファリーナに依頼して作らせ)プレゼントしたことがあり、そしてこの360バルケッタは今でもルカ・ディ・モンテゼーモロが自身のガレージに保管している唯一のフェラーリなのだそう。
上述の通り「全権をエンツォに委ねる」と決めたジャンニ・アニエッリですが、実際にスクーデリア・フェラーリの運営について口出しをすることはなく、ただ単に「見守っていた」だけだったとされ、エンツォ・フェラーリに全幅の信頼を置いていたこともわかります。
ただ、エンツォ・フェラーリの死後(1998年8月)には上述のとおりフィアットがフェラーリの株式の90%を所有することになり、経営陣はフィアット出身者にて固められ、ジャンニ・アニエッリが決定権を持つというスタイルへと変更されたそうですが、ミハエル・シューマッハの採用を決めたのもジャンニ・アニエッリ。
なお、フェラーリのF1マシン、F2003-GAの「GA」はジャンニ・アニエッリの頭文字で、開幕前にがんにて亡くなった同氏への追悼の意を表したものとなっています。
-
M.シューマッハが6度目のタイトルを獲得したF1マシン、F2003-GAが20億円で落札され「近代で最も高額で落札されたF1」に。ちなみに4位までがシューマッハの乗ったクルマ
| この価格はすなわちフェラーリのブランドパワーだと言っても良さそうだ | やはりモータースポーツにて成果を残すことがブランド価値向上においては欠かせない さて、先日は「ミハエル・シューマッハが6度目 ...
続きを見る
参考までに、フェラーリの現会長はジャンニ・アニエッリの孫であるジョン・エルカーン(女系なので名字が異なる)、そしてエンツォ・フェラーリが息子のピエロ・フェラーリに遺した10%の株式はそのまま子孫に受け継がれることになり、ジャンニ・アニエッリ、そしてエンツォ・フェラーリの意思はしっかりと受け継がれてゆくことになりそうですね。
合わせて読みたい、フェラーリ関連投稿
-
エンツォ・フェラーリは自分宛ての手紙にすべて返信していた!エンツォの死の直前に手紙を送った当時の子供達が40年近くを経てフェラーリ本社に招かれる
| フェラーリは排他的であり続ける一方、”ファミリー”に対しては献身的だ | 当時夢見たF1マシン、そしてフェラーリのロードカーと対面を果たす さて、毎年このクリスマスシーズンになると各自動車メーカー ...
続きを見る
-
フェラーリの取締役名簿を見て驚いた・・・。サンローラン、グッチ、シャネルなどハイブランド業界、アップルといったテック業界の大物で占められる
| やはりフェラーリは今後ハイブランド化、スマートフォン化してゆくことになるのだろう | ウワサには聞いていたが、フェラーリは「自動車」というよりは「ブランド」ビジネスへとシフトすることに さて、ラン ...
続きを見る
-
2023年公開の映画「フェラーリ(Ferrari)」にてエンツォ・フェラーリを演じるアダム・ドライバーの映像が初公開!「フェラーリ最悪の時」がついに語られる
| レース要素抑えめ、おそらくはヒューマンドラマになるものと思われる | エンツォ・フェラーリの苦渋の決断、そして苦悩の日々をアダム・ドライバーが熱演 さて、長い調整期間を経てようやく撮影が開始された ...
続きを見る
参照:Ferrari