| 正直、「J」ではなく「イオタ(Jota)」の名を復活させるとは信じがたい |
このミウラ イオタ プロジェクトについてはあまりに謎が多い
さて、ブガッティ・チェントディエチやフェラーリ・デイトナSP3の生産枠を販売していることで注目を集めた日本の商社、TPE。
同社のサイトを見ると、「ミウラ イオタ2022」という記載があり、いったい何ぞ?と思って見てみると、なんと「ランボルギーニがミウラ イオタを4台のみ製作して発売する」もよう。
正直この話は聞いたことがなく、しかし記載の内容を見てみると、TPEが「ランボルギーニ社」より独占的にオファーを受けているもので、外には話がなされていない独占販売なのだそう。
なぜ「ミウラ イオタ2022」が販売されることになったのか?
そしてTPEの記載によれば、「TPEはミウラのレストアをランボルギーニ社へと依頼しており、その関係で、ランボルギーニ・サービスから直接ミウラ イオタの販売をオファーされた」とのこと。
なお、この「ランボルギーニ社」が「アウトモビリ・ランボルギーニ」を、そして「ランボルギーニ・サービス」が同社のクラシックカー部門「ポロストリコ」を指すのかどうかはわかりませんが、いずれにせよ「ミウラ イオタを購入できるのはTPEを通じてのみ」「ミウラ イオタは4台のみ製造される」「4台まとめて購入すれば1600万ユーロ(日本円で約20億円)」「1台のみの購入だと590万ユーロ(約7億3750万円)」「もしTPEが完売できなかった場合は(おそらくはほかルートで)700万ユーロで販売予定」だとされています。
加えて、TPEの記載によれば、このミウラ イオタ2022を製作するのは、1970年にオリジナルのイオタを製作したチームメンバーで、”旧ランボルギーニ本社のエキスパート”、チーム・イオタだと紹介されており、このプロジェクトがランボルギーニ非公式なのか、それともランボルギーニ自身がこのプロジェクトを遂行するために当時のメンバーを呼び寄せた公式プロジェクトなのかは判断ができないところです。
さらには「新規に製造する」のか、それともすでに生産されたミウラSVをレストモッドするのかということも明らかではなく、とにかく謎だらけといった感じ。
ちなみにランボルギーニは1971年に発表されたカウンタックのプロトタイプを「ゼロベースから復刻」していますが、これはランボルギーニの「非常に重要な」顧客の依頼によって実現したもので、今回のように「売り先が決まっていない」状態でミウラ イオタを4台作るというのもちょっと理解が難しい、と考えています。
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参考までにですが、「新型カウンタック」、そして初代カウンタックの復刻は前CEOが企画したプロジェクトであり、しかし現ランボルギーニCEO、ステファン・ヴィンケルマン氏は「過去へのオマージュ」には否定的な見解を示していて、よって同氏が「ミウラ イオタ」にGOサインを出すというのもにわかには信じられない、といったところです(ただ、前CEO、ステファノ・ドメニカリ氏が進めていたのであれば話は別ですが)。
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そこでこの「イオタ」について説明してみたいと思いますが、これは1台のみが製造され、現在は(廃車になって)存在しないクルマです。
オリジナルのイオタは、ランボルギーニのテストドライバーであったボブ・ウォレスが1969年に”こっそり”製作を開始したもので、こっそり製作をしなくてはならなかったのは、このクルマが(ランボルギーニ創業者、フェルッチオ・ランボルギーニが禁じていた)レーシングカーだったから。
ランボルギーニはフェラーリに対抗して設立された自動車メーカーとして知られますが、その「対抗」は様々なところに現れており、フェラーリがモータースポーツ活動をそのコアバリューとしていることから、ランボルギーニは「レースに参戦せず、ロードカーへと特化した」のだと言われます。※実際は、フェラーリからランボルギーニへと移ったジオット・ビッザリーニが”モータースポーツ活動が、いかに企業を疲弊させるか”をフェルッチオ・ランボルギーニに説いたためだとも
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ただ、ボブ・ウォレスとしてはどうしてもレースに出たかったようで、「プロトタイプ・スポーツカー」の車両規定に沿ってこのイオタを製作しており、よってこれは俗に言われる「ミウラの改造車」ではなく、レースのレギュレーションの沿って作られた、ミウラとは共通性のない純然たるレーシングカー。
じゃあなぜ見た目がミウラなのということですが、これはボブ・ウォレスが、「中身がレーシングカー」であることをフェルッチオ・ランボルギーニの目からごまかすために「ミウラに見せかけた」というのが通説です(けっこうホンワカした時代だったんだな・・・)。
はたしてこのクルマは無事完成し、競技規定附則「J項」にちなんで「J」と命名され、これをスペイン語風に読んだのが「イオタ」という名称。
このイオタはモータースポーツに参加したという記録はなく、その後1972年にジャリーノ・ジュリーニ氏へと売却され、その後にレーシングチーム(スクーデリア・ブレシア・コルサ)のオーナーであるアルフレッド・ベルポナー氏の手に渡りますが、この売買を仲介したエンリコ・パゾリーニ氏がこのイオタで走行中に事故を起こしてしまい、ここでイオタは廃車となってしまいます(ただしエンジンのみは無事であり、アメリカのコレクターが所有するミウラに積まれている)。
その後に「ミウラSVJ」「ミウラSVR」が誕生
この「イオタ」はボブ・ウォレスによる極秘プロジェクトであったにもかかわらず広く知られていたようで、「イオタスペック」のミウラを売って欲しいという依頼が殺到し、ランボルギーニはこれに応える形で7台のみ、外観が「イオタ」に近いミウラSVJを販売することになりますが(うち3-4台が新車、残りはミラSVをSVJへとコンバートしたもの)、後年になってこのほかにも4台のミウラSVJが存在していることが明らかになっており、まだまだほかにも存在する、と言われます。
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なお、ミウラSVJが実際にどれくらい作られたのか、そしてミウラSVをベースに何台が改装されたのかは今となっては追跡が難しく、これはおそらく「永遠の謎」ということになりそうですね。
さらにミウラには様々な「特別仕様車」が存在しており、まだ知られていない個体も隠れているのかもしれません。
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そして「ミウラSVR」について、これは現在日本にて保管されており、ランボルギーニのレストア部門「ポロストリコ」が19ヶ月を経てレストアしたクルマ。
もともとは通常の「ミウラ」であり、しかし後に非公式にSVJ風に改造され、さらにその後ランボルギーニの手によって「SVR」へと改造されるという珍しい経緯を持ったクルマで、「J」ではなく「R」を名乗るのは、もともとのSVJとは異なる外観(オーバーフェンダーなど)を持つためです(そのため、当時のランボルギーニはSVJと呼称することを許可しなかったという)。
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出荷当時はSVC(Cは”コルサ”)と呼ばれたものの、これをオーダーした顧客が自身で「SVR」と呼んだためにその呼称が広がり、現在は「ミウラSVR」として広く知られることとなっていますが、もちろんランボルギーニも(自社でレストアしたので)公式に認める存在となっています。
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なお、ランボルギーニはイオタを表す「J」という文字を用いたことはあるものの、イオタ(Jota)という呼称をオリジナルのイオタ以外に用いたことはなく(このオリジナルのイオタについても、ランボルギーニの正式な記載方法では「J」)、よって今回の「ミウラ イオタ」なるクルマはまったくもっての謎でもありますね。
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参照:TPE Ltd.