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マルチェロ・ガンディーにはマセラティのデザインも手掛けていた。「カムシン」ほか「チュバスコ」などコンセプトカー含めた全6台を見てみよう

マルチェロ・ガンディーにはマセラティのデザインも手掛けていた。「カムシン」ほか「チュバスコ」などコンセプトカー含めた全6台を見てみよう

| マセラティといえば、ジョルジエット・ジウジアーロへとデザインを依頼していたというイメージが強いように思えるが |

実際には1972~1992年の20年の間、6台のクルマのデザインを依頼している

ランボルギーニ・カウンタックやミウラをデザインしたことで知られるデザイナー、マルチェロ・ガンディーニ。

今年3月13日に85歳で亡くなっていますが、普及価格帯のクルマからスーパーカーまで様々な自動車メーカーのクルマを手掛けていたことから各社ともに独自の追悼を行っていますが、今回マセラティもまたマルチェロ・ガンディーニの作品を振り替えるコンテンツを公開しており、ここでその内容を紹介したいと思います。

ランボルギーニ・ミウラやカウンタック、そして様々な「時代に先んじた」クルマを世に送り出した伝説のデザイナー、マルチェロ・ガンディーニが亡くなる。享年85歳
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マルチェロ・ガンディーにはマセラティと縁が深かった

マルチェロ・ガンディーニというとどうしても「ランボルギーニ」のイメージが強いものの、シトロエン、アルファロメオ、ポルシェ、BMW、ジャガー、フィアット、ボルボ等の車両も手掛けており、さらに(フェラーリ)ディーノ208/308GT4のデザインを手掛けたことでも知られます(ピニンファリーナとの契約があった当時のフェラーリにおいて、このモデルのみがマルチェロ・ガンディーニによるデザインである)。

ランボルギーニ・カウンタックは今年で50周年!過去を振り返る4本の動画を公開すると発表し、1本目はデザイナーのマルチェロ・ガンディーニ
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ただしイタリア出身、そしてイタリアのカロッツェリアであるベルトーネに在籍していたことからイタリアの自動車メーカーとともに仕事をすることも多かったもよう。

そしてマセラティではじめてデザインを手掛けたのがこの「カムシン(1972年)」で、スーパーカー的ルックスに加え、後方視界を確保するためにバーチカルウインドウをリアエンドに装着し、そのウインドウにテールランプを埋め込むという画期的なソリューションを採用しています。

なお、マルチェロ・ガンディーにはカウンタックでも「後方視界をなんとか得るために」”ペリスコープ”を取り入れたり、キャブフォワードや低いフロントに起因して通常のヒンジ式ドアを装着できなかったためシザースドアを考案するなど、自身の考えたデザインを市販車として(公道でも実用に足るよう)実現すべく、様々な技術的な解決策を導入しており、エンジニアリング面においても明るい人物であったということがわかります(当時のデザイナーはエンジニアと一緒に車両の構造を考えるのが普通であったそうだ)。

Maserati (3)

そして次はビトゥルボベースのシャマル(1990年)。

前回のカムシンからずいぶん時間が空いていますが、その間マセラティは(ボーラ、ビトゥルボ、クアトロポルテなど)ジウジアーロにデザインを依頼することが多かったようで、ここでなぜガンディーニを再度指名したのかはちょっとナゾ。※マセラティがフィアット傘下となるのは1993年である

Maserati (4)

その次にマルチェロ・ガンディーニが手掛けたマセラティが「ギブリII(1992年)」。

ギブリ(マセラティ社内のデザインだとされるが、ジョルジエット・ジウジアーロの影響が濃い)をリファインしたという意味では(シャマル同様に)マルチェロ・ガンディーニがゼロベースでデザインしたクルマではなく、しかし見事に”近代化”したルックスへ。

Maserati (5)

そしてマセラティがフィアット傘下となった翌年の1994年に発売されたクアトロポルテIVもマルチェロ・ガンディーニの作品です(クワトロポルテIIIはジョルジエット・ジウジアーロの手による)。

こちらはフルモデルチェンジ版となるのでマルチェロ・ガンディーニの手腕が存分に発揮され、リアフェンダーのアーチが(ランボルギーニ・カウンタックでも見られる)同氏らしい形状を持つに至っています。

Maserati (6)

マルチェロ・ガンディーにはマセラティにてコンセプトカーも手掛けている

そしてマルチェロ・ガンディーにはマセラティのためにいくつかのコンセプトカーをデザインしていて、こちらは「クアトロポルテII(1974年)」。

マセラティは1968年にシトロエンとの業務提携を経て(それまでの経営者であった)オルシ家がシトロエンに株式を売却することでシトロエン傘下となり、その体制下で企画されたのがクアトロポルテII。

ベースはシトロエンSMで駆動方式はFFという異色の存在ですが、オイルショックやシトロエンの離脱(その後マセラティはデ・トマソによって買収される)によって市販化が見送られ、13台のみが受注生産によって製造されています。

Maserati (2)

そしてマルチェロ・ガンディーニがデザインした「最後のマセラティ」が1990年に発表されたチュバスコ(Chubasco)。

3.2リッターV8をミドシップマウントするという魅力的なクルマで、しかしなんらかの理由でプロジェクトが凍結されてしまい、モックアップが製作されたのみだと説明されています。

当時のマセラティはデ・トマソ時代「末期」にあたり、デ・トマソは1993年にフィアットへとマセラティを売却していますが、そこから察するに資金的な問題があったのかもしれません。

一方のマルチェロ・ガンディーニは1979年にベルトーネを辞して独立しており、チゼータV16T(1989年)やブガッティEB110のデザイン(1991年)を行っていた時期であり、このチュバスコについても、いくつかのディティールにはブガッティEB110との共通点を見て取ることが可能です。

Maserati (1)

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参照:Maserati

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