
| 世界の多くの自動車メーカーは「もともと自動車メーカーではない」別業界にルーツを持っている |
序章:異業種から自動車メーカーへの転身という物語
さて、世の中には様々な自動車メーカーが存在しますが、メルセデス・ベンツのように「最初から自動車メーカーとしてスタートした」会社もあれば、ホンダのように「2輪から」、はたまたランボルギーニのように「トラクターや家電といった別業種から」参入した例も(最近だと、シャオミがわかりやすい一つの例かもしれない)。
現代のグローバル経済において、自動車産業は単一の製品群を超えた(たとえば、自動車といった機械的な分野にとどまらず、電子部品やソフトウエアまでをも含んだ)複雑なエコシステムを形成していますが、しかしその黎明期に遡ると、現在世界を牽引する多くの自動車メーカーが「全く異なる産業を起源としていた」という事実にゆきあたります。
その一方、多くの自動車メーカーが「自動車メーカーとして有名」であるため、しばしぼくらは「その自動車メーカーが最初から自動車メーカーであった」かのように思いがち。
しかしここでは、その歴史の転換点に焦点を当て、各社が創業時に培った技術、哲学、そして経営思想が、いかにして現代の自動車製造の基盤となり、ブランドの不朽のDNAを形成しているのかを多角的な視点から見てみたいと思います。
第1部:日本の自動車産業を築いた開拓者たち:創業の技術と哲学
1.1. トヨタの事例〜繊維機械と自動車:豊田自動織機とトヨタ自動車の「自働化」革命
まずは日本を代表する「トヨタ」。
実はトヨタのルーツは「自動車」ではなく「織物用機械」にあり、豊田自動織機とトヨタ自動車の歴史は、自動車メーカーの異業種参入事例の中でも、最も象徴的かつ影響力の大きいものの一つとして位置づけられます。
まず、トヨタの起点となる豊田自動織機製作所創業者の豊田佐吉は1890年に豊田式木製人力織機を発明し、その後も革新的な織機を次々と開発することに。
1924年には、糸が切れたり、布に欠陥が生じたりすると、機械が自ら停止する画期的な「無停止杼換式豊田自動織機(G型)」を完成させ、そしてこのG型自動織機の製造・販売を目的として、1926年に株式会社豊田自動織機製作所が設立するわけですね。
このG型自動織機に組み込まれた「自動停止機構」は、単なる技術的な発明にとどまらず、当時の織機はオペレーターが常に監視し、異常が発生した際に手動で停止させる「ワンマン、ワンマシン」の体制が一般的であった そうですが、しかし佐吉の考案した仕組みは機械が異常を検知して自ら停止し、人に異常を知らせるというものであったといい、この思想は、不良品を次工程に送らないという徹底した無駄の排除を目指すもので、後にトヨタの根幹を成す「自働化」(にんべんのついた「自動化」)という概念の原点となっています(この時点でトヨタの「効率」「品質」という考え方の基礎が成立したのだと思われる)。
ただし豊田自動織機の成功に安住しなかったのが佐吉の長男である豊田喜一郎。
彼は、将来の基幹産業を自動車と見据え、1933年に豊田自動織機製作所内に自動車部を設立し、自動車製造への挑戦を開始するのですが、これは経営層の強い先見性に基づく、プロアクティブな事業転換だともいえるもの。
喜一郎はこの自動車事業に対し父が織機で培った「自働化」の思想を持ち込むことになるのですが、さらには「必要なものを、必要な時に、必要なだけつくる」という「ジャスト・イン・タイム(Just-in-Time)」の概念を提唱し、両者が組み合わさることで現代のトヨタ生産方式(TPS)が完成することとなります。
-
-
トヨタは「いかなる不況でもクビを切らない」。70年前にたった一度だけ行ったリストラがトヨタを変えた
| 豊田一族は素晴らしい教育を受けて育ってきたようだ | さて、トヨタ自動車について、たびたび話題となるのが「人を切らない」ということ。たとえばカルロス・ゴーン氏が日産自動車を立て直すために行った主な ...
続きを見る
この豊田の事例は、創業事業がもたらした「技術」そのものよりも、そこから派生した「生産哲学」が、異なる分野でのイノベーションの核となり得ることを証明していますが、不良品を作らず、無駄を徹底的に排除するというこの思想は、単なる生産効率化を超えた企業文化として根付き、現代のカンバン方式のような具体的なシステムにまで一貫して継承され、トヨタの強みは、創業時の技術から生まれたこの不朽の哲学にこそあると言えそうです。
なお、喜一郎が自動車業界への参入を決めたのは「欧米視察を通じて、自動車が人々の生活に不可欠なものになることを確信した」ためで、しかし当時の日本では、自動車はまだ高価で外国製がほとんどであり、しかし彼は「日本人の頭と腕で自動車をつくる」という強い信念を持っていたからだと言われます。
その後のおおよその流れとしては以下の通り。
- 1933年、豊田自動織機製作所内に「自動車部」が設立
-
この時点では、まだ事業として本格的に始める前段階で、輸入したアメリカ車を分解して研究するなど、手探りの状態で開発が進められる
- 研究開発を経て、1935年には初の試作乗用車「A1型」とトラック「G1型」が完成
-
-
1937年、豊田自動織機製作所から自動車部が独立し、「トヨタ自動車工業株式会社」が設立
-
翌年には、愛知県挙母町(現・豊田市)に工場を建設し、本格的な自動車の量産を開始
-
-
-
トヨタがはじめての海外生産拠点であったブラジル工場を閉鎖、60年の歴史に幕。建設に際してはトヨタ本社からプレス機を移設し、そのプレス機は本社へと再び戻ることに
| なんとそのプレス機は89年間も稼働を続け、今後もトヨタ本社工場内にてパーツを生産し続けるそうだ | そしてこのプレス機はトヨタ自動車設立よりも前にトヨタが購入していたものである さて、トヨタが「日 ...
続きを見る
1.2.スズキの事例〜 織機、そして二輪車から:スズキの多角化戦略
スズキの歴史は、将来を見据えた段階的な事業多角化と一貫して小型車市場にコミットする戦略の妥当性を示す事例として捉えることが可能です。
まずは1909年に大工から身を起こした鈴木道雄氏によって「鈴木式織機製作所」として創業され、当初は木製織機を製造していたものの、やがては金属製自動織機へと移行し、精密機械の加工ノウハウを蓄積してゆくことに。
しかし同社の経営陣は、織機という製品が非常に耐久性が高く、代替需要が小さいため、将来的に市場が飽和することを予見していたといい、この危機感から蓄積された機械技術を活かした多角化事業への進出を決定します。
その第一歩が、1952年の自転車補助エンジンブームを機とした二輪車「パワーフリー号」の発売で、これは特定の技術を転用するというよりは、精密機械メーカーとしての総合的なノウハウを応用した、経営層の先見性に基づく「水平思考」の現れであったという見方がなされているもよう。
二輪車での成功を経て、スズキは1955年には四輪軽自動車分野へも進出し、以後、小型オートバイと軽自動車を主力として、日本国内での地位を確立することになるのですが、創業事業である織機で培われた高精度な金属加工技術は、「小型ながらも高出力が求められる二輪車や軽自動車のエンジン開発に不可欠な基盤」となり、この創業から一貫して「小型」の領域に強みを持つことは、現代のスズキのブランドイメージへと直結しています。
特に、インド市場における圧倒的なシェアは、この小型車戦略がグローバル市場でも成功を収め得ることを証明しているかのようですね。
-
-
スズキ・ジムニーの原点は「ホープ自動車」が開発した、日本初の軽四輪駆動車”ホープスターON360”だった!そのルーツに迫る
| ホープ自動車は三菱ではなく、スズキにこの全権利を売却した | さて、米ドーナツメディアが「スズキ・ジムニーがアメリカで販売されないのは、フェイクニュースがジムニーの評判を落としたからだ」という動画 ...
続きを見る
1.3.SUBARUの事例〜 航空機と重工業の遺産:スバルと三菱の技術転換
戦時下の基幹産業であった航空機や重工業から、戦後の平和産業へと事業を転換したのがスバル(旧中島飛行機)であり、その変遷は日本の産業史の縮図とも捉えられています。
スバルの前身である中島飛行機は1917年に設立され、太平洋戦争終戦まで三菱重工業、川崎航空機と並ぶ日本最大規模の航空機製造会社として知られており、一式戦闘機「隼」や四式戦闘機「疾風」など、数々の著名な軍用機を開発・製造していたという背景を持っています。
しかしながら1945年の敗戦後、GHQにより航空機の研究・製造が一切禁止されたことで中島飛行機は分割解体の憂き目に遭ってしまい、この歴史的必然が後の富士重工業(現スバル)の誕生につながることに。
この転換は(トヨタやスズキとは異なって)外的要因による「強制されたイノベーション」ではあるものの、その結果として航空機製造で培われた独自の技術的資産が、自動車製造へと直接的に転用されることとなったわけですね。
具体的には、航空機の軽量化と高剛性化のノウハウが1958年にデビューした軽自動車「スバル360」に活かされており、当時のライバル車が重いラダーフレーム構造を採用する中、スバル360は航空機では一般的な「モノコックボディ」を時代に先駆けて採用しています。
-
-
熱狂的ファンの多いスバル!いかにしてスバリスタが形成されたのかを考察する。「パワーに対して価格が安い」「数字などスペック的特徴が多い」
| ただしそれは苦肉の策から生まれた戦略だったのだと考える | スバルはけっこう(というか”かなり”)ファンが多いメーカーとして知られます。そして「なぜファンが多いのか」ということはあちこちで語られる ...
続きを見る
この構造は、軽量でありながら高い剛性を確保でき、スペース効率にも優れるという特徴を持ち、また航空機の空力特性を追求する姿勢は、後の車種のスタイリングにも影響を与えることに。
スバルのエンブレムである「6連星」は、解体された旧中島系企業5社が統合した絆を象徴しており、その歴史を今に伝える役割を担っている こともよく知られている事実ですね。
-
-
スバルのロゴに隠された意味とは?「統べる」と「スバル」とがかけられた社名、そして「六連星」が示す歴史とSTIバッジの秘密、WRブルーとは
| この六連星」を外してほしいと訴えるオーナーも少なくないとは聞いているが | スバルは実に「語るべき歴史」が多い自動車メーカーである さて、スバル車のフロントに燦然と輝くのが6連星(むつらぼし)。 ...
続きを見る
ミツビシの事例〜三菱重工業から三菱自動車へ:重工業の応用力
三菱グループは海運事業を起源とし、造船、重工業へと事業を拡大した巨大なコングロマリットで、三菱重工業内の一事業部として自動車製造を開始することとなり、1970年に独立したのが「三菱自動車工業」 。 ※その意味では、自動車メーカーたることを目指して設立されたともいえる
三菱の自動車事業は、特定の技術を持ち込むというよりも、巨大な重工業企業が培った幅広いエンジニアリング能力を「応用」した点が特徴的で、例えば戦前に製造していた航空機用エンジン「金星」「火星」といった技術的知見が戦後の自動車エンジン開発に間接的に影響を与えたものと考えられています。
その応用力の典型例が、革新的な振動抑制技術「サイレントシャフト」であると考えられ、この技術は、4気筒エンジンに6気筒エンジン並みの静粛性をもたらすもので、重工業が培った高度な振動・騒音制御技術の応用として生まれたもの 。
この技術が、ポルシェ、サーブ、ボルボといった海外の高級車メーカーにまで技術供与されたという事実は、その革新性と創業時の事業が培った応用力の高さをまさに証明しするものなのかもしれません。
Image:Mitsubishi
1.4. その他の日本の先駆者たち〜ホンダ、マツダ、ダイハツの事例
本田技研工業:二輪車から四輪車への挑戦
本田技研工業はまず二輪車メーカーとして世界的な地位を確立した後に四輪車市場に参入していますが、その転換は、創業者本田宗一郎の技術と情熱を源泉とする「自然な拡張」。
初期の軽自動車「N360」に搭載されたエンジンは二輪車のドリームCB450のエンジンをベースとしていて、二輪で培った高出力・高回転技術が四輪車に直接応用されたもので、この事例は、単なる事業の多様化ではなく特定のコア技術を異なる分野へ「水平展開」した成功例と言えそうです。
Image:Honda
東洋コルク工業からマツダへ
マツダは、1920年にコルク製造を目的として「東洋コルク工業株式会社」として創業。
経営難を機に機械事業への進出を決め、1931年に三輪トラック製造を開始したのが自動車産業への参入「第一弾」となりますが、この事業転換は経営危機を乗り越えるための戦略的な決断であったとされています(それにしても思い切ったものである。当時は自動車産業への参入障壁が現代ほど高くなかったのだと思われる)。
特に、原爆投下後の広島の復興において、同社のオート三輪が焼け野原を走る姿は当時の人々に大きな希望を与えたとされ、地域社会のインフラを支えるという社会的な役割を担ったことも成長の原動力となっています。
Image:Mazda
-
-
マツダが28年ぶりにブランドロゴ(エンブレム)変更?今までにマツダは4回ロゴの変更を行っており、いずれも大きな方針転換とともにリニューアルされている
| 今回のロゴ(エンブレム)変更もまた何らかの新しい戦略とともに発表されるのか | 今後のマツダの方向性については大きな注目が集まっている さて、まだマツダからは公式発表はないものの、日経等が報じたと ...
続きを見る
発動機製造株式会社からダイハツ工業へ
ダイハツは1907年に内燃機関の国産化と普及を目的として「発動機製造株式会社」として設立され、社名「ダイハツ」は「大阪の発動機製造会社」の略称に由来したもの。
創業時から一貫して内燃機関というコア技術を軸に自動車産業へと事業を拡大していますが、これは、技術ドリブンな成長モデルの典型であって、三菱と同様に、特定の要素技術に立脚した事業展開の成功例であると考えられます。
Image:Daihatsu
東京石川島造船所からいすゞ自動車へ
いすゞ自動車のルーツは1916年に自動車製造を企画した造船会社「東京石川島造船所」 。
同社は、1918年にイギリスのウーズレー社と提携を結んで自動車製造に進出し、1922年には国産第1号乗用車を完成させていますが、造船で培った建造技術を応用することで重厚長大なトラックやバス製造へとシフトした点は三菱の事例と共通する重工業企業ならではの事業展開と言えそうですね。
第2部:欧州の老舗メーカーに見る多様なルーツ
2.1. BMWとサーブの事例〜空の覇者から陸の高級車へ
欧州には日本のスバルと同様に、航空機産業をルーツに持つ自動車メーカーが存在しますが、BMWとサーブはその代表例。
その歴史は戦争という歴史的必然によって事業転換を余儀なくされた結果、航空機エンジニアリングの粋が全く異なる分野に注ぎ込まれたというケースです。
BMW:航空機エンジンから高級乗用車へ
BMW(Bayerische Motoren Werke)は、1916年に航空機エンジンメーカーとして創業していますが、同社は第一次世界大戦中に航空機エンジン「タイプIIIa」を製造するなど空の分野でその技術力を発揮しています。
しかし、第一次世界大戦の敗戦後、ヴェルサイユ条約によりドイツ国内での航空機製造が禁止され、この制約はBMWに事業の再構築を迫り、まず同社はモーターサイクルメーカーへと転身することに。
そして、1928年にはアイゼナハ車両製作所を買収し、ライセンス生産による四輪車「Dixi」(英国オースチン・セブンのライセンス)の製造を開始し、これが4輪事業への進出のきっかけとなるわけですね。
BMWの転換は、戦争という歴史の波に翻弄されつつ、高度なエンジニアリング技術を活かして新たな道を切り拓いたというレジリエンスの物語と言えるのかもしれません。
Image:BMW
-
-
ちょっと待って・・・!BMWロゴは「プロペラと空を意味してない」とBMWが公式に否定。今までボクが信じてたのは何だったの
| BMW「90年間、その通説を否定してこなかったのもまた事実だ」 | https://www.flickr.com/photos/110074903@N02/49897283197/in/datep ...
続きを見る
サーブ:空力と安全性の追求
サーブ(Saab)は、1937年にスウェーデン軍向けの航空機製造を目的に設立された「Svenska Aeroplan AB」(スウェーデン航空機会社)を前身とします。
第二次世界大戦中には軍用機を生産していたものの、戦後の軍需減少に対応するため平和産業への転換を迫られることとなり(ここはBMWとちょっと事情が異なる)。同社は1946年から自動車開発に着手して航空機メーカーとしての設計思想を色濃く反映させた自動車づくりを開始します。
サーブの最初の量産車「サーブ92」は、航空機メーカーの技術が活かされた代表例で、ボディ設計時には当時としては珍しい風洞実験が実施され、流線型のティアドロップ形ボディを採用することによって空気抵抗係数(Cd値)0.32という驚異的な数値を実現し、この空力性能の追求は創業事業からの技術的な知見が「自動車の走行性能」という本質的な価値に直結した典型的な事例だと捉えられています。
参照:SAAB
2.2. 精密機械と商用車の系譜
プジョー:製鉄業から工具、そして自動車へ
プジョーの歴史は1810年にジャン=ピエール・プジョーとジャン=フレデリック・プジョーの兄弟が始めた製鉄業に遡ることができ、同社は、ノコギリや工具、さらにはペッパーミルやコーヒーミルといった精密な家庭用品を製造することで事業を拡大 。
自動車事業を開始したのは1889年であり、製鉄業で培われた高い技術力と精密機械製造のノウハウが自動車の品質と信頼性を支える基盤となっています。
なお、同社の象徴であるライオンのエンブレムは、当初の鉄製品(鋸の刃)の強靭さを象徴したものとされ、創業時から一貫して追求してきた「強固なものづくり」の精神を表しています。※現在でもペッパーミルの製造と販売が行われている。なお二輪事業は別会社に売却済み
-
-
プジョーがロゴ(エンブレム)変更を発表!60年代への回帰、そしてこれまでには10回のロゴ変更も。なお今後は「上級マーケットへと移行する」
| プジョーの新ロゴは力強くダイナミックな印象に | プジョーが「ブランドロゴを新しくし、上級マーケットへと移行する」と発表。プジョーは1810年設立という非常に古い会社であり、メルセデス・ベンツより ...
続きを見る
オペル:ミシンと自転車から始まった大衆車製造
オペルは1862年にアダム・オペルによって創設されていますが、創業時の事業はミシン製造であり、その後、自転車製造へと事業を拡大したという経緯を持つ変わり種(このあたりのなりゆきはちょっとだけプジョーに似ている。よって、エイプリルフールネタとして、数年前には「オペルがミシンを発売」というコンテンツが投下されている)。
創業者の没後には彼の5人の息子たちが事業を継承し、1899年に自動車製造を開始したのが「自動車メーカー」としてのはじまりで、ミシンや自転車という大衆向け耐久消費財の大量生産で培われたノウハウは効率的で低価格な自動車の生産に活かされ、オペルはドイツ最大の自動車メーカーへと成長してゆくことに。
Image:Opel
-
-
【動画】オペルもロゴ(エンブレム)変更!BMWやミニ、日産、VW)同様に「スマートフォン時代に対応する」ため
| まだまだこの流れに乗る自動車メーカーも多そうだ | さて、ミニやBMW,、日産、フォルクスワーゲン、トヨタに続きオペルも「ロゴを変更する」と発表。なお、オペルは現在日本から撤退した状態ですが、20 ...
続きを見る
この事例は、精密機械の製造経験と、大衆向け製品の量産体制という、二つの資産が自動車製造の基盤となったことを示していますが、プジョーしかり、(トヨタの事例もそうですが)歯車を用いた回転部品を製造していた会社が自動車製造業へと乗り出す事例が複数見られるようですね。
一方、直近の異業種からの参入だと上述のシャオミ、そのほか同じくスマートフォンメーカーのファーウェイ、さらには冷蔵庫を製造していた吉利汽車などがあり、「機械」よりも「電気」分野からの乗り入れが多く見られることが「自動車という製品そのもの」の移り変わりを示しているようにも思えます。
-
-
シャオミはなぜ「アップルが断念した」電気自動車の発売を実行し成功することができたのか?シャオミとアップルとの「相違」とは
Image:Xiaomi | シャオミはアップルよりも「広く深い」レベルでその製品が人々の生活に根付いていた | さらにシャオミは「地の利」を掌握しサプライチェーンと生産拠点を確保 さて、昨年後半から ...
続きを見る
ロールス・ロイス:自動車ディーラーから「世界最高の車」へ
ロールス・ロイスは、チャールズ・ロールズとフレデリック・ロイスの二人の出会いによって1906年に設立されていますが、チャールズ・ロールズは英国初の自動車ディーラーの一つを立ち上げた人物で、フランスのプジョーなどを輸入販売していたという背景を持っています 。
一方、フレデリック・ロイスは、エンジニアとして自らの車を開発していたそうで、この事例は自動車事業への参入が、既存の事業(ディーラー)と技術的知見(エンジニアリング)の融合によって実現したことを示すもの。
この融合から生まれた「シルバーゴースト」は、「世界最高の車」と称賛され、ロールス・ロイスの名声を確立することとなり、ディーラーを運営していた人物ならではの「提案性」が製品に盛り込まれていたであろうこと、そしてそれが消費者の隠れたニーズを刺激したであろう「自動車史上初のマーケティング成功例」だと言えるのでは、とも考えています。
-
-
ロールス・ロイスとベントレー:かつては同門、しかし袂を分かつことで双璧をなすようになった英国高級車の知られざる歴史と違いとは
Image:Rolls-Royce | はじめに:英国高級車の二巨頭、ロールス・ロイスとベントレー | かつて両ブランドは「70年以上も」同じ企業による「異なるブランド」であった 自動車の世界には、た ...
続きを見る
第3部:ルーツが刻んだ不朽のDNA:技術・思想・ブランドの継承
ここでは、第1部と第2部で詳述した各事例から共通するテーマを抽出し、創業事業が現代の自動車産業に与えた影響を包括的に分析してみたいと思います。
3.1. 製造哲学の転換と応用:TPSと軽量化思想
豊田自動織機に端を発するトヨタの「自働化」は、単に機械を自動で動かすことではなく「人の知恵」を組み込むことで、異常が発生すれば機械が自ら停止し、人に知らせるという画期的な哲学を採用しています。
この哲学は「不良品を作らない、無駄を徹底的に排除する」というトヨタ独自の経営思想の基盤となり、ジャスト・イン・タイムと並ぶトヨタ生産方式の二本柱を形成することとなっていますが、この思想は単なる生産効率化を超え、人間の働きやすさと品質を同時に追求するもので、現代の製造業における最も重要な概念の一つとして今もなお世界中で研究・実践されているものでもありますね(そう考えると、トヨタはなるべくして世界ナンバーワンの自動車メーカーとなったのであろう。あらためて初代、そして二代目の経営手腕には感心させられる)。
Image:Toyota
スバルやサーブに共通する航空機メーカーのルーツは、自動車製造に不可欠な軽量化と剛性向上という本質的な価値に直結し、スバル360のモノコックボディ採用には「航空機製造で培われた技術が自動車の安全性や走行性能を根本的に向上させる」ことを示しているほか、サーブの風洞実験は航空機の空力特性追求という思想が「自動車の燃費や走行安定性といった性能向上に直接的に応用された」例。
これらの事例は創業時の知見が最終製品の競争力を決定づける中核的な強みとなり得ること、それが自社ならではの競争力を生み出すことを物語っています。
3.2. コア技術の水平展開:エンジニアリングの継承
本田技研工業の事例は、特定のコア技術が異なる分野でどのように再定義され、価値を創出するかを示していて、二輪車で培った高回転・高出力エンジン技術はN360などの初期の四輪車に直接応用されていますが、このアプローチは単なる製品の多様化ではなくコア技術の「水平展開」として捉えることができ、創業時の技術的資産が、新たな市場への参入障壁を低減する役割を果たしています(今後これが電動化、航空宇宙産業にどういかれるかには要注目である)。
三菱の「サイレントシャフト」は、重工業の広範なエンジニアリング能力が自動車の特定の課題解決に結実した典型例で、この技術は4気筒エンジンの振動問題を解決して高級車クラスの静粛性を実現しただけでなく、海外の高級車メーカーにまで供与されることに。
Image:Mitsubishi
これは創業時の事業が培った応用力の高さとその技術が業界全体のイノベーションを促進するエポックメイキングなものであったことを証明しており、やはり異業種への参入において大きなアドバンテージとなったことを意味します。
このほか、技術的な関連性はそれまでの業種と「さほど」ないものの、世の中の変化に対応して自動車産業へと参入したスズキやマツダ、「やむなく」業態転換を迫られて”もっとも自社のメリットが活かせるであろう”自動車ビジネスへと参入したBMWなど様々なパターンがあるようですね。
3.3. ブランドアイデンティティへの影響
異業種からの転身は、単に技術や哲学の継承に留まらず、ブランドアイデンティティの形成にも深く関与していて、スバルは現在でもそのブランドアイデンティティの重要な一部として、航空機メーカーとしてのルーツを積極的に訴求しているという一面も。
この戦略は同社の技術力や独創性のシンボルとして機能し、独自の水平対向エンジンやシンメトリカルAWDといった技術に対する消費者の信頼獲得、そして航空機時代から連なる「絶対に事故を起こしてはならない」という安全性追求の姿勢を強化することとなっています。
そしてプジョーのライオンエンブレムは、当初の製鉄業における強靭な工具の象徴でああり、このシンボルは、単なる装飾を超え、創業時から一貫して追求してきた「強靭なものづくり」の精神を顧客に伝える役割を担っています(ここでは示さなかったが、製鉄業をルーツとするボルボのエンブレムも同様である)。
このように、そのルーツがブランドの核となる哲学や価値観を象徴する役割を果たすことは、消費者との間に深い絆を築き、長期的なブランドロイヤルティを醸成する上で重要な要素となるものと考えられます(BMWのプロペラエンブレムもそのルーツを示すものと信じられていたが、実はBMWのエンブレムはプロペラと関係がないことが公式に示されている)。
さらにマツダだと、MX-30のインテリアに「コルク」を採用しそのオリジン(起源)を示したことがあり、「中国からの新興自動車メーカーの進出にさらされる現代だからこそ」より強くその”歴史”を示す傾向が(マツダのみに限らず)強くなっているようにも思えます。
結論:異業種参入が描くイノベーションの構図
この記事では、異業種からの自動車メーカーへの転身が、単なる偶然ではなく、経営者の先見性、戦争という歴史的必然、そして創業事業で培われた独自の技術・哲学といった複合的な要因によって成功を収めてきたことを明らかにしましたが、これらの成功事例は、以下の3つの主要な類型に分類することができるものと考えています(もちろん、これらの例の他にも「自動車業界へと参入を試み」、しかし失敗した例、チャンスがあったにもかかわらず自動車業界へと参入せずに会社が時代の波に飲まれてしまった例もあるのだと思われる)。
- 先見性に基づくプロアクティブな多角化: トヨタやスズキのように、既存事業の将来的な限界を予見し、新たな成長産業へと能動的に事業を転換した類型。これは、経営層の戦略的なビジョンと、創業時の技術から生まれた独自の哲学を中核に据えたことで成功したのだと推測される。
- 歴史的必然によるリアクティブな事業転換: スバル、BMW、サーブのように、戦争という外的要因によって従来の事業継続が不可能となり、新たな産業への進出を余儀なくされた類型。この場合、創業事業で培われた高度な技術的資産が、全く異なる分野で予期せぬイノベーションを引き起こす原動力となった。
- 既存事業からの技術的・思想的資産の応用: 三菱、ホンダ、ダイハツのように、創業事業で培われた特定の技術的・思想的資産を、自動車製造という新たな分野に水平展開した類型。これは、既存の強みを再定義し、新しい市場での競争優位性を確立するアプローチである。
現代の自動車産業は、100年に一度と言われるCASE(Connected, Autonomous, Shared & Services, Electric)という大きな変革期を迎えており、電気自動車や自動運転技術の発展は自動車を「単なる機械から電子機器やソフトウェアの集合体」へと変えつつあるというのが現在の状況です。
そしてこのような状況下で、過去の異業種からの参入事例は、既存の枠組みに囚われず、異分野からの技術や哲学の融合がいかに重要であるかを示唆していて、これまでの歴史が証明するように、真のイノベーションは「創業時のルーツに深く根ざした独自のDNAを、新たな時代の要請に合わせて進化させる」ことから生まれるのであるとも考えられますが、自動車市場が「成長」から「飽和」に達しているいま、そして自動車そのものがこれまで以上に複雑化している状況、そして人的かつ設備投資、研究開発に関わるコストが高騰してしまっている中では「これまでのどの時代よりも自動車産業への参入に対するハードルが高く、基盤となる業種の強みを活かすことが難しくなってきている」のかもしれませんね。
一方、自動車が「家電化」しつつある現在、シャオミのような成功例、アフィーラのようなチャレンジ、成功には結びつかなかったもののアップル(iCar)のような事例もあり、「異業種からの参入」についてはそのバックボーンが大きく変わってきていることもわかります。
-
-
ホンダ×ソニーの新型EV「アフィーラ」、発売前から500億円以上の赤字。発売前にもう陳腐化、ここで撤退したほうがいいのかも
Image:AFEELA | 発売前から約520億円の赤字、「AFEELA(アフィーラ)」に何が起きているのか? | ここから先、販売すればするほど「赤字が膨らむ」のかもしれない ホンダとソニーが共同 ...
続きを見る
表1:主要自動車メーカーの創業事業と歴史的転換点
会社名 | 創業年 | 創業事業 | 自動車事業参入年 | 転換の主要因 |
トヨタ自動車 | 1926年 | 繊維機械 | 1933年 | 経営者の先見性 |
スズキ | 1909年 | 織機 | 1952年(二輪) 1955年(四輪) | 将来の需要飽和を予測した多角化 |
スバル | 1917年 | 航空機 | 1953年 | 第二次世界大戦後の事業転換(歴史的必然) |
三菱自動車 | 1870年 | 海運・重工業 | 1917年 | 巨大コングロマリットによる事業拡大 |
ホンダ技研工業 | 1948年 | 二輪車 | 1963年 | コア技術(エンジン)の水平展開 |
マツダ | 1920年 | コルク製造 | 1931年 | 経営難を乗り越えるための戦略的転換 |
ダイハツ工業 | 1907年 | 内燃機関 | 1930年 | コア技術を軸にした事業拡大 |
いすゞ自動車 | 1916年 | 造船 | 1918年 | 既存技術(造船)の応用 |
プジョー | 1810年 | 製鉄業・工具 | 1889年 | 既存事業の延長線上での技術応用 |
オペル | 1862年 | ミシン・自転車 | 1899年 | 大衆向け量産技術の応用 |
BMW | 1916年 | 航空機エンジン | 1928年 | 第一次世界大戦後の事業転換(歴史的必然) |
サーブ | 1937年 | 航空機 | 1946年 | 第二次世界大戦後の事業転換(歴史的必然) |
ロールス・ロイス | 1906年 | 自動車ディーラー | 1906年 | 既存事業と技術的知見の融合 |
表2:創業事業から自動車技術への影響:事例別詳細分析
メーカー | 創業事業 | 創業事業で培われた技術・哲学 | 応用された自動車技術・思想 | 具体的な車種・事例 |
トヨタ | 織機 | 糸切れ自動停止機構(自働化) | トヨタ生産方式(TPS) (ジャスト・イン・タイム、自働化) | G型自動織機、カンバン方式、アンドン |
スバル | 航空機 | 軽量化・高剛性化のモノコック構造 空力性能の追求 | 自動車のモノコックボディ 優れた空力デザイン | スバル360、後のスバル車のデザイン |
三菱 | 重工業 (航空機含む) | 高度な振動・騒音制御技術 | サイレントシャフト (4気筒エンジンの振動抑制) | ニューギャランGTO、ポルシェ等への技術供与 |
ホンダ | 二輪車 | 高回転・高出力エンジン技術 | 自動車用エンジンの高性能化 | N360、後のCVCC・VTECエンジン |
サーブ | 航空機 | 風洞実験と流体力学の知見 | 優れた空力デザイン | サーブ92(Cd値0.32) |
プジョー | 製鉄業 (工具・精密機械) | 強靭な鉄鋼加工技術と精密製造 | 高品質で信頼性の高い自動車製造 | ライオンエンブレムに象徴される品質哲学 |
合わせて読みたい、関連投稿
-
-
エンツォ・フェラーリの生涯:創業からフェラーリのF1参戦、上場までの軌跡をたどる。フェラーリのエンブレムがはじめて装着されたのは創業よりも早い1932年7月9日
| エンツォ・フェラーリの生涯とフェラーリ創業の歴史 | フェラーリの伝説はいかにして形作られたのか 世界的スーパーカーブランド「フェラーリ」。その礎を築いたのが、創業者エンツォ・フェラーリ(Enzo ...
続きを見る
-
-
英国伝統の自動車メーカー、ロータスの誕生から現代に至るまでの歴史を考察。コーリン・チャップマンの残した功績はあまりに大きく、しかしその天才性に依存しすぎた悲運とは
| 「ロータス」は創業者であるコーリン・チャップマンの画期的な思想によってその名を知られるように | とくに「軽量」「ハンドリング」はそのブランドの”核”である 自動車の世界において「ロータス」という ...
続きを見る
-
-
「アウトモビリ・ランボルギーニ」: 農業機械のルーツからグローバルスーパーカーの象徴へ – その創業から破綻、再生まで
| ランボルギーニほど「設立の動機が明白な自動車メーカー」はほかにないだろう | ランボルギーニの伝説の始まり アウトモビリ・ランボルギーニ(自動車メーカーとしてのランボルギーニ)は、単なる自動車メー ...
続きを見る