
| 多くの倒産と再生を経ているということは、それだけ多くの投資家や企業が価値を見出しているということにほかならない |
ある意味では「倒産回数」は勲章なのかもしれない
ランボルギーニの歴史を紐解くと、創業者フェルッチオ・ランボルギーニの情熱、フェラーリとの因縁、数々の企業買収劇、そして最終的なアウディ傘下での再生というドラマが浮かび上がりますが、フェラーリと異なるのは「6回も親会社が変わっていること」。
フェラーリが(フィアットの庇護を受けながらも)基本的に自社で決定権を保有し続けたのに対し、ランボルギーニでは会社そのものの所有者が何度も変わっているわけですね。
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アストンマーティン:孤高の英国流儀、度重なる経営危機からも不死鳥のように蘇った110年の歴史とこれからのブランド戦略とは
| アストンマーティンは7度の倒産を経て現在に至る | それでも度重なる救済を経て存続しているということは「それだけ強いブランド力を持つ」ことにほかならない 英国を代表する高級自動車メーカー、アストン ...
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フェラーリとの確執から生まれたブランド
フェルッチオ・ランボルギーニは戦後イタリアで農機具や家電を製造して成功し、趣味として高級車を楽しんでいたことで知られます。
しかし自身が購入したフェラーリのクラッチの故障に不満を持ち、エンツォ・フェラーリに改善を提案したところ、「お前は農夫にすぎない(トラクターマンと言われたという話もある)」と突き放されたと伝えられています。
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ランボルギーニの真実が今ここに。「フェルッチオはフェラーリに抗議に行かなかった」
| フェラーリに怒鳴り込みに行ったというのが定説だったが | 東洋経済オンラインにて「ランボルギーニはなぜここまで急成長したか」という記事が掲載に。 過去12年で販売台数が15台になった、ということを ...
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これに激怒したフェルッチオは「本物のスポーツカーを作ってやる」と決意し、ランボルギーニを創業。
元フェラーリエンジニアのジョット・ビッツァリーニを招聘し、350GTやミウラなどを世に送り出すこととなるわけですね。
なお、当時も「宮廷の反乱」にてフェラーリを辞したエンジニアたちがフェラーリの対抗となるブランドを立ち上げたものの、実質的にフェラーリに「一矢報いることができたのは」ランボルギーニだけであると考えられます。
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フェラーリ250GTO生みの親、そしてランボルギーニを支えたV12エンジン設計者、ジオット・ビッザリーニが96歳で亡くなる。この人なしにスーパーカーの時代はやってこなかった
| 類まれなる才能、そして情熱を持った人物がまた一人失われる | とくにランボルギーニ最初のモデル、350GTからムルシエラゴにまで積まれるV12エンジンを設計した功績は大きい さて、ランボルギーニに ...
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さらにいえば、ミウラという元祖スーパーカーにして初の大排気量ミドシップスポーツというトレンドの創造(ミドシップについては、フロントエンジンに強いこだわりをもっていたエンツォ・フェラーリの信念すらも後に曲げさせることになる)、シザースドア(ランボドア)という画期的な構造、さらにウエッジシェイプの採用など「スーパーカーを構成する要件」を確立したのがランボルギーニだとも捉えられています。
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「アウトモビリ・ランボルギーニ」: 農業機械のルーツからグローバルスーパーカーの象徴へ – その創業から破綻、再生まで
| ランボルギーニほど「設立の動機が明白な自動車メーカー」はほかにないだろう | ランボルギーニの伝説の始まり アウトモビリ・ランボルギーニ(自動車メーカーとしてのランボルギーニ)は、単なる自動車メー ...
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ただ、ランボルギーニは創業からわずか10年ほどで(フェルッチョ・ランボルギーニの本業であったトラクタービジネスの破綻によって)会社が売却されることとなり、それ以降は(アウディにたどり着くまで)短い期間で様々なオーナーのもとを転々としていて、ここでその流れを見てみましょう。
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近年否定されがちなトレンドのひとつ「フェイクテールパイプ」の元祖はなんとランボルギーニ・ミウラだった。「初のスーパーカー」が「初のダミーパイプ」を持つという衝撃の事実
| ランボルギーニは1966年から1970年までこの「フェイクテールパイプ」を採用し続ける | 1971年に廃止されているところを見るに、当時としても論争の的となったのかも さて、近年の自動車業界にお ...
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スイス人投資家時代と経営の迷走
まずは1970年代初頭、労働争議や経営難からフェルッチオは会社をスイス人投資家ジョルジュ=アンリ・ロセッティとレネ・レイマーに売却。
しかし自動車業界未経験の2人には経営が難しく、さらにオイルショックも重なり経営は悪化。
BMWとのM1共同開発も破談となり、アメリカ軍向けオフローダー「チーター」も訴訟に発展するなど混乱が続きます。
カウンタックとミムラン兄弟の救済
1974年に登場したカウンタックは「スーパーカーの象徴」として人気を博したものの、財務状況は改善せず。
1978年にはイタリア政府直径の管財人管理下に置かれ、1980年になるとフランスのミムラン兄弟が買収し、LM002「ランボ・ランボ」やジャルパを投入するなど徐々に復活の兆しを見せることに(この時期にはバイクも少量ながら生産されている)。
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ランボルギーニが生み出した伝説のSUV「LM002」の物語。軍用車としてのルーツ、失敗作とされたLM001を経て再評価されるまで
| ランボルギーニLM002は「早すぎた」存在であり、しかしいまようやく「時代が追いついた」と言えるだろう | ある評論家は「なんとしても手に入れろ」とこのクルマを評価している さて、ランボルギーニは ...
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クライスラー傘下とディアブロの誕生
1987年、クライスラーが約2500万ドルでランボルギーニを買収。
F1参戦用のV12エンジン開発、そしてカウンタック後継「ディアブロ」の開発を推進し、しかし不況や販売不振によって1994年にインドネシア資本「メガテック」へとランボルギーニを売却しています。
この時期にはランボルギーニのアドバイスを取り入れた「バイパー」が発売されたり、ランボルギーニブランドを活用し、クライスラーが持つ既存ブランドのクルマに「ランボルギーニバージョン」を設定する計画などが進められるなど、ランボルギーニという資産を積極活用しようという動きが見られます。
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ランボルギーニ・ミウラやカウンタック、そして様々な「時代に先んじた」クルマを世に送り出した伝説のデザイナー、マルチェロ・ガンディーニが亡くなる。享年85歳
| マルチェロ・ガンディーニほど多くのデザイナーに影響を与えた人物は他にいないだろう | その影響力はときにライバルを動かすまでの威力を誇る さて、イタリア国営メディアが報じたところによると、ランボル ...
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ランボルギーニはクライスラー傘下時に様々な試作車を作っていた。ダッジ・デイトナ(FF)にランボルギーニ製V8を押し込んで4WD化し発売する計画があったもよう
| ランボルギーニはこれまでに7回も親会社が変わり、その都度運命にも変化が生じている | その中でもクライスラー時代には「他にない」動きがあったと言っていい さて、ランボルギーニはフェルッチオ・ランボ ...
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メガテック時代の混乱
インドネシアの新興財閥「セドコ・グループ」傘下のメガテックは政治的に不透明な企業であり、ベクター社の乗っ取りやディアブロの小改良を行ったものの、新型車を開発する余力はなく、1998年には再び身売りが決定。
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ランボルギーニの歴史においてディアブロほど数奇な運命を辿ったクルマはないだろう。開発期間を含めると5つの親会社が変わり、カウンタックと現代の成功を結びつける
| ランボルギーニはかつて「ディアブロのみ」しか販売していなかった時期がある | そしてランボルギーニ61年の歴史において、「1車種のみで耐え抜いた」のはディアブロのみである さて、ランボルギーニ・デ ...
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アウディによるランボルギーニ再生
1998年、フォルクスワーゲングループ会長フェルディナント・ピエヒの主導でアウディがランボルギーニを買収。
これがブランド復活の決定打となるわけですが、ディアブロの改良型を経て2001年にムルシエラゴ、2004年にガヤルドを発表。
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「ディアブロ後継」として発売直前だった「ランボルギーニ・カント」。発売キャンセルの理由とは?
| 発売直前まで行っていた、幻の”次期ディアブロ” | ザガートがデザインした「ディアブロ後継モデル」、”Canto(カント)”ことスーパーディアブロ(1998)。 コードネームは「L147」とされる ...
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以降はアヴェンタドール、ウラカン、そして成長を決定的とした「ウルス」の発売を経て現在のレヴエルトやテメラリオへと続くモデル群で大きな成功を収め、非常に安定した状態を保っています。
ただ、2003年~2004年あたりには、積極的に電動化を進めるフォルクスワーゲンと、V12エンジンや内燃機関にこだわるランボルギーニとの「イメージ的相性が良くない」という理由から売却話が持ち上がっており、実際にいくつかの(買い手との)会合が持たれたとも報じられるものの、最終的にランボルギーニは売却を免れることに。※同時期に売却話が持ち上がったブガッティは結果的にリマックの手にわたっている
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「10年前は誰も知らなかった」リマック。なぜそれが今ではブガッティを傘下に納め、EV業界のキープレイヤーへと発展したのか
Image:Rimac | 10年前はまったくの無名だったリマック | なぜリマックがここまで高く評価されるのか 10年前、クロアチアの自動車メーカー「リマック(Rimac)」を知っていた人はほとんど ...
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ランボルギーニ売却話には続きがあった!スイスの持ち株会社が1兆円にて買収を申し出る。影でポルシェ一族暗躍とのウワサ
| まさかランボルギーニの買収がこういった形で具体化するとは | いったんは落ち着いたランボルギーニの身売り話だが さて、年末年始あたりに世を騒がせた「ランボルギーニの身売り話」。これは親会社であるフ ...
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しかしながら2004年後半あたりから(ガソリン車の絶滅危惧を背景として)急激に「富裕層が電動車に興味を失い始め」、大排気量エンジンを搭載するスポーツカーに人気が集まるという風潮が顕著になり、結果的にランボルギーニは強い成長を見せるなど「追い風」となっているのが面白いところ。
ランボルギーニの長い歴史を見ても、「時代がランボルギーニに味方した」唯一の時期がこの1-2年だとも認識しており、ある意味では「はじめてもたらされた幸運」なのかもしれません。
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【速報】ランボルギーニ、2025年第1四半期も絶好調。レヴエルトとウルスSEが牽引、売上は30%近く増加する
| ランボルギーニは「電動化×エクスクルーシブ」戦略にてひた走る | ただし米国の導入した関税については「注視が必要」 さて、アウトモビリ・ランボルギーニ(Automobili Lamborghin ...
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ランボルギーニ創業者フェルッチオの晩年
フェルッチオ・ランボルギーニは会社を売却した後自動車業界を離れ、自身の足跡を記録する博物館を設立し、さらにはバラとワイン造りに余生を捧げたことでも知られますが、「ミウラの血」と呼ばれるワインを手掛け(結構な数の受賞歴もある)、晩年は静かにその人生を楽しんだといいます。
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ランボルギーニ創業者、フェルッチオ・ランボルギーニが自動車殿堂入り!同じスーパーカーメーカーでもランボルギーニとフェラーリはこう違う
| ランボルギーニとフェラーリの創業者はまるで真逆とも言える考え方を持っていた | そして真逆の考え方を持つ会社がともに成功したことも面白い ランボルギーニ創業者、フェルッチオ・ランボルギーニが「自動 ...
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イタリアはランボルギーニ本社併設の博物館へと行ってきた。カウンタック、ミウラ等どういった展示がなされているのかを見てみよう【動画】
| ランボルギーニ博物館にはまさに同社の「歴史」が詰まっている | プリプロダクションモデルなどの「貴重な」個体も収容される さて、ランボルギーニ博物館(ムゼオ・アウトモビリ・ランボルギーニ)を訪問し ...
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そして彼が最も愛したモデルは、やはりミウラであったといい、そしてミウラを愛していたからこそ、「突然の」生産終了を宣言したのかもしれません(ミウラは人気絶頂期に生産が終了しているが、その理由は明確ではなく、一説には「マフィアが乗り回すようになり、ブランドイメージの失墜を恐れ、フェルッチョ・ランボルギーニがそれ以上ミウラを作らないように決めた」とも言われている)。
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ランボルギーニの知られざる事実5選。「ミウラは自動車史上もっとも車高の低い量産車」「マルツァルはもっとも広いガラス面積を持つクルマ」etc.
| まさかミウラがロータス・ヨーロッパよりも車高が低かったとは | まだまだランボルギーニには知られていない事実がたくさんありそうだ さて、ランボルギーニが「自社にまつわる”知られざる事実”5つ」を公 ...
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フェラーリ vs ランボルギーニ──永遠のライバル、その魅力と真実
フェラーリとランボルギーニの誕生秘話 フェラーリ創業の背景とモータースポーツへの情熱 フェラーリの誕生は、創業者エンツォ・フェラーリのモータースポーツへの果てない情熱から始まりました。エンツォは、自 ...
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知られざるランボルギーニの事実7つ。「80年代にバイクを発売したことがある」「今までに27車種しか発売してない」「一番高価なモデルはヴェネーノ」など
| ランボルギーニのオーナーは現在のアウディで「8代目」である | それでも一貫してスーパーカーメーカーであり続けたことは称賛に値するだろう さて、コロナ禍にてマクラーレンやアストンマーティンなど多く ...
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信じられないが過去にはクライスラーの車を「ランボルギーニ仕様」にして発売するという計画があった!そのプロジェクトを再現したCGが話題に
| かつてランボルギーニはクライスラー傘下にあり、ダッジ・ヴァイパーの開発にも参加した | https://www.flickr.com/photos/110074903@N02/4980300887 ...
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