ランボルギーニ・ウラカンが発表され、そこら「買うかどうか」を考え、購入に至ったのちをここではまとめて公開。
発表から購入を決めるまでのまとめは下記にあります。
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ランボルギーニ・ウラカン発表後から購入検討。「買おう」と決めるまでのまとめ
さて、いきなりですがランボルギーニ・ウラカンの購入を決意。
ただしまだ注文を入れたわけではなく、ちなみにこの時点での競合というのも一応あって、それはまだ見ぬポルシェ960、フェラーリ458スペチアーレ、フェラーリF12。
ぼくにとってフェラーリは常に憧れであり、興味の対象です。
しかしながら、なぜフェラーリを選ばないのか、ということはよく尋ねられます。
いくつか理由がありますが、その大きな理由のひとつが「横から見たボディライン」。
フェラーリは、ボディ下半分があって、その上にキャビンが乗った形です。
これは、横から見ても上から見ても同じですね。
これによって、フェラーリの伝統的で美しく、力強いベルトラインが生まれます。
対して、ランボルギーニは、横から見ると一筆書きのように、フロントからリヤまで、一直線でラインが流れます。
いわゆる「塊感」と置き換えることも出来ますが、ボディの下半分とキャビンが一体化しているわけですね。
ガヤルドはさほど顕著ではありませんでしたが、その後のアヴェンタドール、そしてウラカンはいっそうこの傾向が強くなっています。
そのため、Cピラーにおいて、フェラーリとの相違が最も大きく現れることになっています。
フェラーリは曲線を多様し、それが複雑に絡み合い、その結果として工芸品のような優美さを持つに至っていると考えています。
フェラーリ458やF12ベルリネッタのフロントフェンダーからサイドに流れるライン、ルーフとリヤフェンダーとの境界などはその典型ですね。
また、テールランプのカッティング(ヴェネチアングラスのようだと表現される)等細かいところでも、フェラーリならではの繊細さが見られるのも興味深いところです。
そして、それとは対照的に、近年のランボルギーニは各パーツのラインや継ぎ目が「直線的」であることも特徴ですね。
シンプルに大きく描いた線の中に、直線的で、エッジが効いたパーツが組み込まれています。
フェラーリとランボルギーニ、そのパフォーマンスにおいてよく比較されますが、デザイン面でよく見てゆくと、相当な差異があるのがわかるかと思います。
ぼくは、できるだけ物事をシンプルにしたいと考えており、そのためによりシンプルなラインで構成される(ディティールではなく基本的なラインということです)ランボルギーニのほうが、自分の好みに合っている、と考えているのですね。
ただ、これはもちろん良い悪いの問題では無いですし、単純に嗜好の問題で、ぼくの本能がシンプルで力強いラインを求めている、というだけの話です。
それでも、フェラーリが常にぼくの頭から離れることはなく、常に憧憬の念を抱いてそれを見ることに代わりはありません。
ポルシェ960については、そのスタイリングはじめスペック、価格も一切不明。
登場するのはおそらく2年後、デリバリーとなると3年後になると考えられ、そのときにまた買い替えるかどうか、を考えたいと思います。
さて、ランボルギーニ・ウラカンを購入すると決めたとして、もちろんウラカンを購入するのは、ぼくにとってたやすいことではありません。
それでもなぜ買うのか、ということを考えると、ランボルギーニが「クルマ以上の価値」があると考えています。
速く走ることだけを考えると別の選択肢もたくさんありますが、それでもランボルギーニを購入する、ということがぼくにとって重要なのですね。
ぼくはランボルギーニに対し、「速く走る」以上のことを求めており、それは人生に対する姿勢のようなものです。
本ブログのタイトルは「Life in the FAST LANE」ですが、文字通り「追い越し車線を走り続ける人生」がぼくの信条です。
なんどか記載しましたが、人生において「手が届かないと思えるものを、なんとかして手に入れることの重要さ」というものがあります。
ぼくが最初にポルシェ(ボクスターS)を購入した時、年収は450万円でした。
それでも、計画的にお金をためて、807万円(支払総額)のボクスターを購入したのですね。
もちろん現金一括で購入できるわけではなく、残価設定ローンです。
ただ、そこでぼくの中で何かが変わったことも事実で、「オレはポルシェに、オーダーで自分仕様のクルマを作ってもらった」と考えると、何でもできるような気がしてきたわけです。
それ以来、ぼくは自分に負荷をかけることを続けています。
手が届かないものに手を届かせようとして、自分がそれにふさわしい人間になろうとする行為の重要さを、ぼくはポルシェの購入を通して知ったのですね。
そうやってぼくは自分自身を底上げしてきたわけですが、そこで再度の大きなチャレンジがランボルギーニ・ガヤルド。
これはもう、普通に考えるとぼくのような庶民には手が届かないのはわかりきっています。
それでも、「何とか出来ないか」と思案し、それに向けて努力すればなんとかなるものだ、ということも、ガヤルドの購入まで、そして実際に乗ってみてわかりました。
ある程度頭金を払ってしまえば、あとは払えなくなれば「売ればOK(そうしたくはありませんが)」です。
多少残債が残ったとしても、なんとか頑張って返せば良いだけのことですし、「やはりオレはそこまでの器じゃなかったんだなあ」とそれをバネにして再起すれば良いだけのことだと思うのです。
太陽に届こうとして翼を失い、命を失うことになったイカロスのように、命まで取られることはありません。
ただ、お金がなくなるだけです。
しかしながら、「自分は何かに挑戦した」という、自尊心と自分を信ずる心は残ります。
かつてスティーブ・ジョブズが「会社が潰れたって構わない。それよりも”自分は会社を興したんだ”と言えることのほうが重要だ」と語ったそうですが、まさにそのとおりだと思います。
ウラカンを欲しいと思いながらも「どうせ無理だから」と最初から諦める人生と、ウラカンを購入しようと頑張り、たとえ(維持できずに)手放すことになろうともなんとか手に入れてウラカンに乗る人生。
ぼくだったら、迷わず後者を選びます。
「勉強すればもっといい大学に行けた」「自分だってやればできた」というような、そういったことはぼくの人生では語りたくもありませんし、なにより後悔したくないのです。
さて、ウラカン納車まではおそらく1年以上あるわけですが、その期間に着々と準備を進めてゆく必要があります。
当然ですが、一番重要なのは資金計画で、どの程度の金額をどうやって貯めるのか、ということを考えねばなりません。
これについてはモチベーションを保つために、なんらかの「見える化」をして積み上げてゆく必要がありそうです。
どうせお金は銀行に置いていても利子がつきそうにないですし、手元に置いて増えるのを見ながらモチベーションを保つのも良さそうです。
お金を貯めるにはこれが重要で、目標と実績をしっかり管理せねばなりません。
正直なところ「額が額」なので目標なしで貯めるのは不可能であり、相当高い意識を持って貯めてゆかないとですね。
そして、いつ仕様を決めるのか。
これはぼく側というよりも、ランボルギーニ(製造)側の都合によるもので、ランボルギーニ大阪さんと打ち合わせてゆく必要があります。
資金計画にあわせてオプションを選択し、オプションと支払総額をおおよそ固定する必要がありますね。
ほか、車が入庫してくる時になるとまた色々な手配があります。
最終の支払いとローンの設定、後付するものの準備(レーダー探知機やカーナビ、オーディオなど)、打ち合わせ等。
ホイールも塗りますし、エンブレムも塗る予定なのでそのあたりの手配も行わねばなりません。
ドアミラーやルームミラーの制作もこの時期で「型」をとっておき、納車時に間に合うようにワンオフ制作する必要があります。
納車後はそれらの実行、コーティング、自分で取り付けるもの、等の対応が必要です。
それらひっくるめ、自分でスケジュールを管理するための「ウラカン・カレンダー」を作成し、ひとつづつ予定をこなしてゆこうと思います。
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